漢方つぼ物語  (107)
風市(ふうし)
〈日韓の懸け橋に〉

 韓国伝統舞踊の担い手である金昴先(キム・ミョウソン)が日韓親善事業の一環として、徳島の地を訪問し、公演を催したのは平成13年のことだった。そのおりに四国八十八カ所第13番札所の大日寺に宿泊した。そして思いがけなく、その寺の住職である大栗弘榮のプロポーズを受けることになった。
 「母国でひたすら伝統舞踊の普及をされるのがよいか、衆生救済のこの霊場の住職の妻となり、日韓の懸け橋として、より一層大きなお仕事をされるのがよいか、よくお考えの上でお返事を賜りたい。」
 自信に満ちた求婚の言葉に圧倒され、翌年には華燭の典を挙げた。夫は56歳、妻38歳であった。言語も習慣も異なる異国の地、ましてや遍路がひっきりなしに訪れる四国霊場の寺という特異な環境に身を置いて、不安は限りなく大きかったが、夫の愛情はそれを補うに余りあった。やがて夫婦の間に玉のような男児が授かった。二人の名の一字ずつをとって「弘昴(こうみょう)」と命名した。慈悲深くエネルギッシュな夫と、賢く愛らしい息子と共に夢のように幸せな日々が続いた。乞われるままに伝統舞踊を教え、披露することで母国・韓国と嫁ぎ来た日本との文化交流を果たすことに大きな喜びを感じていた。

***

 平成19年3月末、夫がふと告げた言葉…。
 「あなたも尼僧の資格を取っておいたほうがいいね。」
 急に何をおっしゃるの、という感じで、こう応えた。
 「まだ日本語もたどたどしいのに、むりですよ、そんなこと!」
 そんなやりとりのあった2時間後に、夫は卒中発作を起こして倒れた。3週間の昏睡状態を経て、4月5日、住職は遷化した。帰らぬ人となったのである。長男はまだ9歳。母は顔立ちにいまだ幼さを残す息子に語りかけた。
 「お父様は亡くなられたの。お母さんのお国へ、一緒に行ってくれる?」
 精神性と芸術性を兼ね備えた韓国伝統舞踊の踊り手として韓国文化財庁から人間国宝の後継者に指名されている身で、祖国への思いもまた断ちがたかったのだ。
 母の言葉に対して、長男はまっすぐに母を見つめて、はっきりと言った。
 「僕はお父様のような立派な大僧正になって、多くの人々を救いたいです。僕が二十歳になって住職に就任するまで、どうかこの寺を守って下さい。」

***

 まだ子どもと思っていた息子の言葉に驚きは隠せなかったが、それは次第にしみじみとした深い喜びに変わった。子どもの成長は母親である自分の想像をはるかに超えていた。尼僧の資格を、という夫の最期の助言は自分への遺言に他ならなかった。夫の百か日法要を経た平成19年の7月、息子と共に得度した。さらには息子が晴れて住職となる日まで寺を守らんと、夫の形見の法衣(ほうえ)をまとい、僧侶となるための1年がかりの修行に取りかかった。
 午前3時起床。読経の勉強。かつて夫が弟子に読経の指導をしていたときの録音テープが格好の教材となった。2歳の時から父と読経している息子も応援してくれた。宗派の僧侶の指導も得られた。
 夫は「3つの宝物」を残してくれていた。第一は大きな心の支えとなる息子。9歳の若さで、今後より広い世界の親善に役立つ人間になりたいと12歳までの予定でカリフォルニア大学ロサンゼルス校に留学した。第二は90歳を超えた夫の母。夫に代わってお世話させて頂かねば。そして第三には、夫が残した数冊の日記帳。これは今の自分にとっては日本語学習のテキストでもあり、また法話の尽きない源泉ともなる。

***

 朝6時、宿坊に宿泊したお遍路さんと共に朝の勤行をする時間。平成20年の3月から朝の勤行を取り仕切り、法話の練習もすることにした。時折、にわかに不安な思いに駆られて、アメリカにいる息子に電話をする。
「お母さんよ。今から何をしようとしているか、分かる?」
「朝のお勤めでしょ。しっかりお経を読んで、お話もがんばってね、お母さん!」
 海の向こうから聞こえてくる快活な息子の声に励まされて、本堂に向かう。
 般若心経を唱え、そのあと、自分の来し方をありのままに話す。お勤め終了後、一人のお遍路が話しかけてくる。
「お話に感銘しました。私も幼い息子を残して夫に死なれ、心細かったですが、今は息子とその嫁、孫達と共に幸せな毎日です。」
 金昴先は思わずそのお遍路を抱きしめる。無言の内に心が通う。

***

 平成20年5月21日、大日寺の本山である真言宗大覚寺で最終試験に合格、7月に正式に住職資格が与えられ、四国霊場初の外国人住職となる。
 夫の口癖が耳元によみがえる。
「仏教が伝わった日本・韓国・中国は、国の壁を越えて手を携えなければ…。」

〔風市(ふうし)〕正規のツボ以外で著効ある奇穴の一つ。WHOでは正穴扱い。
 取穴:直立して手を垂らしたとき中指の頭がズボンの縫い目に当たるところ。
 治効:脳血管障害の予防・治療に用いる。「中風(ちゅうふう)七穴」の一つ。

《作者から一言》 四国13番札所大日寺は阿波巡拝のおりには必ずその宿坊に泊まり翌朝、お勤めでのご住職様の力強く心を打つご法話が楽しみでした。今年4月にお参りしたとき、ご住職の姿はなく、奥様であられる金昴先さまからおきかせ頂いた法話と、平成20年5月25日付けの読売新聞の記事をもとにまとめました。
なお、写真は「ぜひお写真を撮らせて下さい!」と申し出た私に、光栄にも「それではあなたとご一緒に」と言って下さり後見役の僧侶がシャッターを切って頂いた一枚です。いつになく緊張の面持ちの私です。(宮本)



上はキムミョウソンさんと私の写真


上は風市の図


 ●この文書は、当会会員である、宮本年起氏の創作です。

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