漢方つぼ物語(127)
前頂(ぜんちょう)

〈 複雑性悲嘆 〉

 春のある日、幼い一人の少女の告別式が執り行われた。式場にはたくさんのチューリップが飾られていて、まるでチューリップ畑でお葬式が行われているようだった。そう、亡くなったのはチューリップをこよなく愛した少女だったのだ。
 告別式にはずいぶん多くの人々が列席した。小学校の同級生を中心に、幼いこどもたちの参列も多かった。少女はまだ7歳、小学校1年生だった。みんな心の中で同じ思いを抱いていた。
 (こんなに可愛くて元気いっぱいの女の子が、どうしてこんなに幼くして亡くなってしまったの?)

***

 去年の夏頃、少女はときたまころぶようになった。母親は心配になってお医者様にみてもらった。
 「検査の結果、何も異常はありません。健康そのものですよ。お兄ちゃんがすこし病弱なんですよね。お母さんがどうしてもそちらの方に気がいってしまうので、自分の方に気をひこうとしているんじゃないですか?」
 医師の言葉に、(なんだそうだったのか)と納得した。それでお母さんは娘にちょっぴり厳しく接するようにした。
 「もう小学生なんだから、幼稚園の時みたいに甘えてちゃダメ!」
 秋頃、少女はいっそう激しくころぶようになった。おでこにケガするほどのひどい転び方をするに至って、これは尋常でないと気付き、病院で精密検査を受けた。
 「脳腫瘍です。手術できない場所にできています。まことにお気の毒ですが3ヶ月ほどの余命です。」
 少女はよく生きた。だってお医者様は「3ヶ月」って言った、その倍の半年近くも生きたのだから。

***

 チューリップに埋もれた棺(ひつぎ)の中で、少女は安らかに眠っていた。寝息が聞こえてくるようだった。参列した人々はみんなそのあどけない寝顔に涙した。でも一番悲しかったのはやはり少女のお父さんとお母さんだったろう。
 少女を弔った日から、その両親は一日も欠かさずお墓に参った。お父さんは出勤前に、お母さんはたいていお昼前に。そして2年の月日が流れた。
 三回忌の法要の席で、お母さんは耐えきれずに嗚咽をもらした。和尚さんはみかねたように諭した。
 「お子さんを亡くされた辛さは分かりますが、あまりいつまでも亡くなったお子のために涙を流されておられると、却って往生の妨げとなりかねません。そろそろここらあたりで、涙をぬぐわれてはいかがですか。」
 その時、母親は和尚さんを睨むようにしてこう言い放った。
 「和尚さんはわが子を亡くされたことがないから、そのようなことをおっしゃるのです。子を喪った悲しみは、2年たっても、3年たっても、癒えるものではございません。」

 ***

 さて、かけがえのない人、身内とりわけ父母やわが子、または恋人・配偶者などを喪った人が、その心の空洞を埋めることができずに半年以上、日常生活に支障を生ずるほどの深い悲しみの状態にあることを、精神医学用語で「複雑性悲嘆」と呼ぶのだという。脳科学的には近年、この状態の人々に共通の特徴が発見された。脳の中の「側坐核(そくざかく)」と呼ばれる場所に強い反応があるというのだ。ここは報酬をイメージしてやる気を出したり、大好物の食べ物を見てそれにより満たされる欲求を先取りしたりする働きの場所なのだが、故人の写真を目にしたり、その追憶にひたるたびに、いましも亡き人がここに現れると期待してしまう。つまり最愛の人が既にこの世にいないという事実を受け入れることができない限り、側坐核は永遠の誤作動を起こし、ここにいるはずの人の不在は、救いがたい悲しみとなって心をかきむしるのだ。

***

 「チューリップをこよなく愛した少女」のお母さんは現在、特別の治療を受けるため病院へ通院している。娘の死を受容するため専門医のカウンセリングを受けているのだ。
 娘が次第に身体を弱らせ、ついに息を引き取ったときの状況を、感情を荒らげることなく想い起こすことができるようになったとき、この母は娘をまことの意味でこの世に引き戻すことができるに違いない。なぜなら、親子の深い縁(えにし)は、死によってさえ引き裂くことができないものに違いないからだ。

〔前頂(ぜんちょう)〕身体の後方中心線を上り頭頂〜上歯茎の督脈第21穴。
 取穴:前髪の生え際中央と頭のてっぺんを結ぶ線を3等分した後ろほぼ1/3。
 治効:精神にリラックスをもたらしてくれる。側坐核の誤作動にも有効か。
《作者から一言》高村光太郎の「智恵子抄」の中に感動的な場面があります。智恵子を喪って創作活動も手につかなくなっていた光太郎が、ある日、卒然と「智恵子は生きている、生きて私を見守っている」と体感するシーンです。
 死を克服するのが本物の愛なのだと、深く感銘します。(宮本)



上は前頂の図

 ●この文書は、当会会員である、宮本年起氏の創作です。

[前のページへ] [次のページへ] [メニューへ戻る]
[トップへ戻る]


社団法人 和歌山県鍼灸マッサージ師会
 〒640-8341  和歌山市黒田97−14
 電話  073-475-7771  FAX   073-474-2241

 メールはこちらまで  info@washinshi.com