漢方つぼ物語(131)
委中(いちゅう)

全日本鍼灸学会学術大会参加記念三部作その2
〈 キム・ボンハンの栄光と挫折 〉

 「やった! ついに見つけたぞ。これが経絡の実体だ。これが経穴の本体だ。」
 朝鮮民主主義人民共和国・平壌(ピョンヤン)大学のキム・ボンハン教授は雄叫びをあげた。共同研究者から大きな拍手が起こった。
 その画期的な研究論文は、「経絡の実態に関する研究」というタイトルで世界に向けて発表された。1961年のことである。
 「解剖実習に励んでみても 気血の流れは 見えぬらし」
 鍼灸学生の詠んだこの都々逸を引き合いに出すまでもなく、生命エネルギーの通り道である経絡(けいらく)と、その要所に点在する経穴(けいけつ)を解剖的に実証することは、東洋医学に関わる者なら誰でも一度は夢想するのではないだろうか。もしそれが可能なら鍼灸の治効を科学的に証明することなど8割方できたようなものではないか…。
 キム教授は精力的に論文を発表し続けた。研究の対象は東洋医学の想定する生命エネルギーそのものである気血(きけつ)の正体にまで迫った。まず経絡・経穴の解剖的実態としてボンハン管・ボンハン小体を取り出し、ボンハン小体から得られるDNAを含む顆粒こそが気血であるとして「サンアル」と名付けた。1965年までに書き上げた5つの論文の内容は「ボンハン学説」と総称された。
 キム教授の母国・朝鮮民主主義人民共和国は、降って湧いたようなヒーローの誕生に沸き立ち、国家宣伝に利用しようとした。ともすれば孤立しがちなこの社会主義の国は、ノーベル賞級とも思われる研究をたたえる切手をシリーズで発行したばかりか、約50分の映画を制作した。「経絡の世界」とタイトルを付けられたこの科学映画にはキム教授が動物の体内からボンハン管・ボンハン小体を取り出すシーンまで盛り込まれていた。
 それにしても2000年もの間、誰も実体を示せなかった経絡・経穴を一体どんな方法で明らかにしたのか?そこには二つの工夫があった。キーワードは放射性同位元素と染色法。リンの放射性同位元素が皮下の管状の組織に取り込まれる様子を、蛍光染色法と呼ばれる方法で色づけした上で観察したのである。

***

 1966年正月。キム教授は同士達に勧められるままに新年を祝う酒を重ねた。今や世界の医学界で、いや一般人の間でさえ、キム・ボンハンの名は広く知れ渡っていた。得意の絶頂にある花形研究者の周りに多様な人々が群がった。その中には、かねてより親しい付き合いのある甲山(カプサン)派の人脈に連なる者達もいた。朝鮮半島に日本の支配が及んでいた時代、抗日運動に身を挺していたのは、後に北朝鮮を建国する金日成(キム・イルソン)の一派だけではなかった。もう一つの有力な勢力がカプサン派だった。「キム王朝」の政権下でかつてのライバルであった派閥は抑圧されていた。その仲間の中から目覚ましい活躍をする学者が出たことで、この年の新年会は久方ぶりに大いに盛り上がったわけである。
「それにしても金日成が息子の金正日(キム・ジョンイル)に権力を引き継ごうとしているのはけしからん。」
「そうとも、社会主義に世襲とはなんという矛盾だ!」
 酒が入ってのそうした「反逆的暴言」はやがて権力者の耳に入った。そしてさらに不運なことには、世界中に宣伝されたボンハン学説は「追試できない」すなわち同じ条件で実験しても経絡・経穴は現れない、として疑問の声がふくれあがった。ボンハン管は病気で変性したリンパ管、ボンハン小体は皮脂腺、そしてサンアルはミトコンドリアに過ぎないのでは、という批判がわき起こるに至り、ボンハン学説はいつの間にか檜舞台から姿を消した。記念切手は回収され、発行の事実さえ消し去られた。粛正されたのだ、との噂もささやかれる。
 東洋医学の世界で、しばし華やいだ幻を見せてくれたキム・ボンハンという学者は、近年の韓国において復活の兆しがあるという。彼の研究を追試できたとの論文が発表されているのだ。そうした研究の意図は、どこにあるのか?
 それは経絡の解剖的実態と同様、なお神秘のベールに包まれているようだ。

〔委中(いちゅう)〕目・頭・背骨両側を経て足の小指に至る膀胱経の第40穴。
取穴:膝を曲げたときに膝の裏にできる皺の中心。膝の裏のくぼみの真ん中。
治効:「腰背は委中」の言葉通り、背中・腰の痛みをとる経絡治療に用いる。
《作者から一言》委中というツボを指先で触れると脈動を感じることができる。「膝窩(しっか)動脈」の拍動だ。そしてこのツボの深部には「脛骨神経」という坐骨神経の末梢が位置する。経絡とはまさに気血(=無形のエネルギーと液性のエネルギー)の通路だと実感できるツボの一つである。「気」は神経を通る電気エネルギーとイコールではないが限りなく近いと思われる。その総合的な活動実態こそが経絡現象なのだろう。今回のつぼ物語は、先般の全日本鍼灸学会学術大会で参加したランチョンセミナー(=昼食をとりながら聴く発表)「切手の中の鍼灸、東洋医学」にヒントを得た。そこでの出会いは次作。(宮本)



上は委中の図

 ●この文書は、当会会員である、宮本年起氏の創作です。

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