漢方つぼ物語(165)
百会(ひゃくえ)

〈 義父の死 その2 〉

 義父の棺の中を花で満たす。いよいよ棺に蓋をするとき、私は義父に告げた。
 「結婚を許して頂いて有難うございました。」

***

 私が初めて妻の家を訪問したのは、ちょうど30年前の9月だった。その日、日中は晴天であった。後に妻となる堀本惠子と、京都・八坂神社で待ち合わせ落ち合った。
 「いよいよね。がんばってね。」
 日が落ちてから天候が乱れた。堀本家で惠子の父・春男に対峙している最中に、雨脚は強まり、雷鳴が轟いた。私は率直に願い出た。
 「惠子さんと、結婚を前提としたお付き合いをさせて下さい。」
 父と私とのいくばくかのやり取りの後、父は言った。
 「ま、とりあえずはお友達として…」

***

 惠子は二人姉妹の長女である。実は惠子の上に兄がいた。惠子は昭和29年4月5日生まれ、兄の雅彦は昭和27年7月23日生まれ。その兄は満2歳の誕生日の直前、昭和29年の7月17日に病没している。惠子はわずか3ヶ月半ばかり兄と共にいたことになるが、当然その記憶はない。その後、昭和33年8月9日に次女・登美子が生まれた。
 惠子は堀本家の「長男」として育てられたという。ありていに言えば婿養子をとって「家を継ぐ」ことを両親に期待されていたし、当人もその心積もりであったらしい。その跡継ぎが思いがけなく県境を隔てた男と恋に落ちた。その男が長男であったから、困難な状況となった。「その男」とは私のことである。

***

 「ま、とりあえずはお友達として…」
 父のその言葉を聞いたとき、私は思った。
 (そりゃそうすんなりとはいかないだろう。ボクシングにたとえれば今日が第1ラウンドってとこか。これから15ラウンドを闘って最終判定を待つ。そのくらいの覚悟で気長にいくしかないな。)
 惠子が父親に対して“致命的な一撃”となるひとことを発したのは、その時だった。
 「ただのお友達なら家にまで連れてこないよ。」
 その瞬間の父親の、不意打ちを食らったような驚愕の表情を私は今も忘れることが出来ない。
 私は勝ち誇った気持ちになってもよかったのだ。しかしとてもそんな気にはなれなかった。ひたすらこの父が気の毒でならなかった。親孝行で従順な娘の、それは人生で最初の、そして最大の、反抗であったのかも知れなかった。私は思った。
 (遠くない将来、私は私の娘を通じて、きっと復讐されるだろう。)
 義父はひとりで温泉旅行に出て、心を決めるや、秋の結納、年明けの挙式を許してくれた。決断の早い人であった。

***

 堀本家との浅からぬ縁を感じたのは惠子が初めて私の家を訪れた時のことだ。私が大学の卒業証書を見せたとき、惠子は「あっ!」と短い叫び声をあげた。惠子が驚いたのは、そこに記されていた私の生年月日に対してであった。昭和27年7月23日。それは惠子にとってはその面影さえも記憶にない夭折の兄・雅彦の生年月日と寸分たがわないものであったのだ。
 義父・堀本春男が長女・惠子を嫁に出す決心をするための旅の中で、何を思い、どのように自身の心を納得させたのか、今となっては知るすべもない。私は想像してみる。(娘を嫁にやるのではない、息子がよみがえったのだ。)義父の胸にそんな思いがよぎりはしなかっただろうか。そうだとすれば、結婚後、私が妻の実家を訪問する度、義父は私に亡き息子の面影を重ねただろうか。

***

 葬送の後、義妹が父親の背広を何着か私に示して、身に合えば着てくれたらよいと言ってくれた。それらは上等の素材で仕立てられたオーダーメイドで、驚くべきことに、すべてがぴったりとサイズが合った。袖丈もちょうどよく、ズボンの裾も修復が不要であった。
 今年私は還暦を迎え、年明けには結婚30周年となる。30年前の義父の年齢を超えた今、しみじみと人生の妙を思う。
 娘が私に“決別の一撃”を見舞う日は、遠くないのかもしれない。

〔百会(ひゃくえ)〕肛門・尾骨間に発し頭頂に向かう督脈28穴中の第20穴。
取穴:両耳を縦に折りその線をつないで頭の中心線(正中線)と交わる位置。
治効:名医・扁鵲(へんじゃく)が、死んだ太子を生き返らせた伝説のツボ。精神疾患、頭痛、めまい、不眠、目・耳・鼻の疾患、痔、等あらゆる疾患に。

《作者から一言》死者は教訓と尽きざる思い出を残して逝く。残された者はその寂しさの中でようやく「人は死すべき存在」という真理を胸に刻む。(宮本)



上は百会の図

 ●この文書は、当会会員である、宮本年起氏の創作です。

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