漢方つぼ物語(186)
承霊(しょうれい)

〈 川上のぼる先生と私 その1 〉

 「イタイ、イタイ! 足、挟んでるやないか。ジンケンジュウリンや!」
 トランクに押し込まれた人形が叫ぶ。爆笑が湧き、拍手が鳴りやまない…。昭和30年代、大阪の劇場。舞台で腹話術を演じ、会場を沸かせているのは、当代きっての人気者・川上のぼるである。そして満席の観客の中に和歌山から母親に連れられて来た小学生の少年がいた。
 「今日は腹話術を見に行くんやで」と朝、急に言われたが、腹話術がどんなものか、よく分からない。分からないままに母親にくっついて来たのだ。だがひとたび幕があくと、目の前で繰り広げられる芸の、あまりのこっけいさに、少年は圧倒された。世の中にこんな面白いものがあったのかと、心底驚き、魂を引き込まれた。元来が落語や漫才の大好きな子どもだ。人形に命を吹き込んで自由自在におしゃべりする卓抜した芸能に興味を引かれたのは、至極当然の成り行きであった。少年は和歌山に帰るなり、周りの大人に尋ねまくった。
 「なあ、だれか腹話術を教えてくれる人はおらんやろか?」
 きかれた大人は皆、口をそろえてこう言ったものだ。
 「腹話術なんか川上のぼる以外に、そうできるもんやないで!」

     ***

 「私ね、今月いっぱいで小学校の先生を退職することにしたんよ。仕事をやめてもぼけんように、面白いこと始めてんで。」
 駆け出しの二代目治療師のマッサージを受けながら、小学校教諭である来患が笑いながら言った。昭和57年3月のことである。
 「へえー、先生、いったい、何を始めたんですか?」
 「腹話術よ!」
 腹話術。その言葉に新米マッサージ師は敏感に反応した。小学生の頃、母に連れられて見た、かの忘れがたい芸能が、鮮やかに脳裏によみがえったからだ。
 「腹話術って、川上のぼるがする、あんな腹話術?」
 帰ってきた言葉に、マッサージ師は仰天した。
 「その川上のぼるさんが教えてくれるんよ!」

     ***

 信じがたい事の経緯はこうだった。家庭科と給食教育を担当する一人の小学校教諭が腹話術で教育効果を上げようと思いつき川上のぼる氏に手紙を書いた。すると、当の川上さんからすぐさま電話がかかってきた。
 「私はラジオ番組『ハリスクイズ』で小学校を廻り世に出た人間、小学校の教育のお役に立てるなら何よりの恩返しとなります。私の住む大阪・茨木までお越し下さるなら、喜んでお教えしましょう!」
 やがてその小学校教師は腹話術での授業をスタート、それが視察に来た教育委員会の指導主事の目に留まり、腹話術をそれぞれの生活や職業の場で活かそうとするメンバーが集まって和歌山県腹話術協会の結成に至った。
 「そんなに数がまとまったのなら」と、川上先生に和歌山まで足を運んで頂けるようにもなったちょうどその時期に、かねてから腹話術にあこがれていた元少年とご縁の糸が結ばれた、という次第。

     ***

 川上のぼる先生を神様のように尊敬してやまなかった割には、元少年が川上先生の前で初めて演じた腹話術は、なんとも無礼極まるものであった。それはたしか、大阪で催された腹話術の研修会の席であった。
 術者:今日、駅からタクシーに乗ってきたなあ。
 人形:「これから川上のぼる先生に腹話術を習いに行くんや」って言ったら…
 術者:運転手さん、失礼なことを言いよったな。
 人形:「へえ〜、川上のぼるって、まだ生きとったんか?」
 術者:こらこら、ご本人の前で、なにをご無礼なことを言うんや。
 人形:運転手さんが言うたんや。それにしても先生の奥さん、きれいやな。
 術者:そらそうやがな。元宝塚のトップ女優やで。
 人形:川上先生が「気に入ったら持って帰って下さい」と言うてくれた。
 術者:冗談に決まってるがな!
 人形:あんなかさの高いもの、もろて帰ったら置き場に困る!
 術者:ええかげんにしなはれ!
 川上先生は年に一度の腹話術発表会に度々特別出演してくださり、元少年は発表会の司会をつとめたり、またプロ・アマ合同の「川上のぼる一門会」に、和歌山のアマチュア弟子代表で出席したりする中で、親交を深めることができた。腹話術は元少年にとって、もはや“人生においてなくてはならない宝物”となった。

〔承霊(しょうれい)〕心包・三焦・肝経と共に、全身調整力の強い胆経のツボ。
取穴:前後の髪際の前1/3(前髪際から4寸入る)、正面を見た瞳を通る線上。
治効:脳血管の通りを促し、認知症予防に効果が期待できるツボ。片頭痛にも。

《作者からの一言》「仕事をやめてもぼけんよう」ツボ物語と腹話術!(宮本)



上は承霊の図

 ●この文書は、当会会員である、宮本年起氏の創作です。

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