漢方つぼ物語(2)
湧(ゆう) 泉(せん)

 その日は朝から嫌な予感がしていた。
 子供の頃、大火事になる予感におそわれたことがあった。その夜、米軍の落とした焼夷弾によって私の住んでいた町は焼け野原になった…。
 その朝の予感は、なにか大爆発が起こるような、そんな予感だった。予感はある意味で的中した。妻が私に三くだり半を突きつけてきたのだ。
 私は狼狽した。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺たちは27年間、夫婦としてそう大きないさかいもなくやってきたじゃないか。一人娘も世間並みに嫁がせた。贅沢はさせてやれなかったが、大学の教師として精一杯働いてきた。生活に不自由はさせなかったつもりだ。」
 そう自己弁護して理由をたずねる私に妻は、
「そんなことじゃないんです。」
と、かぶりを振りながらも、「とにかく別れてほしい」の一点張りだった。納得できず、なおも食い下がって理由を問いただす私に、妻はぽつりともらした。
「潤いがほしかった…。」
「うるおい?」
その意味がにわかには測りかねた。
「少し考えさせてくれ。」
そう言い残して私は二階の書斎にこもった。

***

 (いったい何が不満なんだ。「潤い」とは何なのだ…。)
 ぶつぶつと独りごとを言いながら、無意識に私は一冊の本を手にしていた。漢方療法の本だ。つい先だって医者に前立腺肥大の傾向があると指摘されたので、何か自分でできる健康法がないかと買っておいたものだ。
 (うるおい、うるおい)と、呪文のように唱えながらページを繰っていると、一つのツボの名前が興味をひいた。それは「湧泉(ゆうせん)」というツボだった。湧泉―泉がわき出るーうるおい。そのツボはちょうど土踏まずのところにあって、「人間が生まれながらに持っている生命力の泉が湧き出るツボ」なのだという。「土踏まず」からとっさに「青竹踏み」を連想した私は、たまたまそこに立てかけてあったほうきの柄を土踏まずに当てて窓越しに手をもたせかけて足踏みを始めた。窓越しに裏の空き地が見渡せる。妻と結婚してまもなくこの家をもとめ、この書斎で読書にひたり思索をめぐらせた時間は、かなり膨大なものとなろうが、この窓からゆっくり外を眺めた記憶は乏しい。

***

 父親が子供を連れて犬を散歩させている。犬は子供にまといつき、子供はキャッキャッ言いながら助けを求めて父親の周りをくるくる回る。犬の描く円と子供の描く円が面白い幾何学模様を作り出しているかのようだ。やがて母親らしい婦人が姿を見せる。どうやら食事の用意ができたので呼びに来たらしい。父親はさりげなく妻の背に手を添え、もう一方の手で子供の手を握りしめる。とりたてて何の変哲もない光景なのだが、今の私にはまぶしかった。
 (妻と一緒になり娘をもうけ、私は夫として父として、今、眼下にいる父親のようななごやかな仕草をただの一度もしたことがなかった。仕事一途と言えば聞こえはいいが、団らんも潤いもない味気ない生活を妻子に強要していたのだ。振り返ってみれば女房もあわれな女ではないか。私のような面白くもない男に27年間も仕えてきたのだ。…よし、望み通りに妻を解放してやろう。おそまきながら、残りの人生で今まで得られなかった自由と潤いを満喫できるように。
 妻が書斎の戸をノックした。茶を入れてきたのだ。私は妻と面と向かい、今窓の外を眺めているうちに気づいたことを、そして決心したことを、伝えようとした。けれども最初の一言を切り出そうとしたとき、不覚にもこみ上げるものがあった。ようやく「別れよう」と言いかけたとき、妻がそれをさえぎって私の前で泣き崩れた。
 「あなた、私が間違っていました。さっき言ったことはもう忘れてください。私、わがままでした。」
 しばらくの間、私たちは抱き合ったまま、ものも言わず泣いていた。暮れなずむ薄墨色の夕空を見ながら私は、(この涙が潤いを運んだのだろうか…)と、とりとめもないことを考えていた。

  〔湧泉(ゆうせん)〕
取穴:泌尿器・生殖器・内分泌器をつかさどる足の少陰腎経の最初のツボ。
 治効:大小便の出をよくし生命力を高める。血圧を整え精神を安定させる。
→第3話の主人公は、旅に生き旅に果てた漂泊の詩人・松尾芭蕉です。


 ●この文書は、当会会員である、宮本年起氏の創作です。

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