漢方つぼ物語(239)
懸鐘(けんしょう)

〈 私は国勢調査の調査員 〉

 地図を片手に家を探す。頭上に人の視線を感じて見上げると、民家の二階から私をじっと見ている人がいる。不審者を見る目つきだ。誤解を解こうと、
 「あやしいものではありません、国勢調査の調査員です!」
と、そう叫ぼうとしたら、二階の住人はぴしゃりと音を立てて窓を閉めた。
 国勢調査に関わるのは10年前と5年前についでこれが3度目だ。以前の2回は自宅を含む地区であったが、今回はかなり離れた場所である。
 「ずっと担当していた方が高齢で辞退し、同じ地区で交代願える人がいなかったので、多少遠くて申しわけありませんがよろしくお願いします。」
と頼まれたのだ。
 こういう時期を限った臨時の仕事は嫌いではない。思いがけない出会いもあるかもしれない。

***

 今回の国勢調査が今までと違うことが一つある。インターネットを用いた回答が初めて採用されたのだ。
手順としてはまずはインターネットによる回答が可能であることを知らせる案内ちらしを配布し、次いでそのために必要なパスワードと回答の手順の説明書を配布する。通常、国勢調査の基準日は調査年の10月1日なのだが、インターネット回答はこれ以前に締め切り、期日までに回答のなかった世帯に、これまで同様の回答用紙を配布する。
 結果的に、私の担当する75世帯中、ちょうど3分の1にあたる25世帯が、インターネットで回答を寄せた。回収の手間が省けて有難い。
 「パソコンもスマートフォンも無縁、そんな今風なものは、ようしません。」
そうおっしゃっていたのに、インターネットで回答したケースが複数あった。
 「別に住んでいる子が、ひょこり帰ってきたら、代わってしてもらえるかもしれんが、いつ来るかわからない。あてにはなりません。」
と言っていた。その助っ人≠ェ「ひょこり」現れたのだろう。

***

 古い大きなお寺の門をくぐると、最初、ご住職は不在で留守番の人が、
「この寺のご住職は東京に自宅があり、こちらへは月の半分しか来られない。」
とのこと。それで再度、足を運ぶと、今度はおいでになった。
「国勢調査は東京ですまします。」
とおっしゃったが、念のために私は尋ねた。
「東京とこちらが半々とお聞きしましたが、どちらかといえばどちらににおられる日が多いですか?」
「どっちが多いかと聞かれると、やはりこちらのほうが多いね。」
と答えられたので、私はこう説明した。
「国勢調査の基準となるのは住民票に記された住所ではありません。実際に暮らしている場所なのです。生活の拠点が複数ある場合は少しでも多くおられる場所で回答して頂きたいのです。」
「そういうことでしたら、妻は東京で、私はこちらで回答することにします。何度も足を運んで頂くのは心苦しいので、郵送で送っておきますよ。」
この方のように、郵送で回答してくれた世帯は20世帯あった。
 忘れがたい世帯があった。回収のために訪問すると、家に上げてくれたのだ。背骨の圧迫骨折を何カ所もしたという高齢のご婦人は私にこう言った。
「5年前の調査のときは夫が手早く記入してくれたが3年前に亡くなってしまった。私はこういうものを書くのが苦手なので、代わって書いてくれないか。」
「それで宜しければ喜んで。まず、この家に住んでおられるのは何人ですか?」
「オンリー・ワン!」
…帰りがけに婦人は私にこう言ってくれた。
「だれでも家に上げるわけでないのよ。あなた、親切で優しそうな人だから。もしよかったら、またいつでも遊びに来てね。」
 代筆したこの方の分を含めて、都合25世帯の用紙を回収することができた。

***

 集合住宅、つまりマンションの住人で5世帯の未回収が残った。私は既定の文書に、思いを込めてしたためたオリジナルの手紙を添えた。
今のところ、お宅様にはまだ調査票のご回答を頂戴しておりません。ご承知の通り国勢調査は決して単なるアンケートではありません。税金の公平で有益な使い道を決める根拠となる資料を得るための大切な調査です。どうかご協力いただけますよう、伏してお願い申し上げます。
 私の仕事はすべて完了した。マンションの回答未回収の部屋のオーナーとおっしゃる方から、「そこには誰も居住していません」との連絡が一件入った。

〔懸鍾(けんしょう)〕胆経44穴中39番目のツボ。髄会穴(=骨髄を治す)。
取穴:外くるぶし上3寸。骨をなぞると筋肉で骨が触れなくなるので絶骨とも。
治効:脚の使い痛めや背中・腰の痛みなど体の動きにくさをやわらげるツボ。
《作者からの一言》1月20日総理府統計局公表の平成28年元日現在のわが国の人口(概算値)は1億2682万人。前年比19万人の減少だそうです。(宮本)



上は懸鐘の図/調査員証

 ●この文書は、当会会員である、宮本年起氏の創作です。

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