漢方つぼ物語(243)
三焦兪(さんしょうゆ)

〈 インド紀行三部作 その1「ヒンドスタンの風になって」 〉

  ジーンズの左すねに黄色いシミがある。デリーからベナレスに移動する寝台列車のカレー弁当をこぼしたのだ。白い長そでの綿シャツの背中には青い水彩絵の具様のシミ。これはベナレスのホテルに向かう途中、ホーリー祭(インド全土で祝う年に一度の感謝祭)の祝福のしるしとしてかけられた色水だ。
 2016年の春は私ども家族にとって忘れがたい区切りとなった。次女・知佳が社会人として第一歩を踏み出すことになり、私は13年間勤めた県立盲学校講師の職を解かれた。バックパッカーのキャリアのある娘は通算40カ国目の旅行先にインドを選び、旅のパートナーに父親である私を指名した。かくして私と娘は、しばしヒンドスタン(インドの別名)の風になって、かの国を吹き抜けた。

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  いつもは自由旅行を楽しむ娘だが、今回ばかりは旅慣れない私と一緒のためチップと飲料水代以外全費用込みのツアーを選んだ。7泊8日で世界遺産8カ所をめぐる盛り沢山のツアーが一人13万円の格安料金。
さらに幸運なことには、最少催行人員1名のこのツアーを申し込んだのは私ども親子を含めて3人で、私ども以外の方は到着直後に体調を崩し別行動を希望されたため、宮本親子の貸し切りツアーという幸運かつ贅沢な成り行きとなった。…が、世の中、そういいことずくめで事が進むわけがない。そこにはいくつかの落とし穴があった。
 旅の最初から最後まで同行するガイドをスルーガイド(スルー=through は「通し」の意味)、行く先々の観光案内役を現地ガイドと呼ぶ。私たちの最初の不運は、スルーガイドの日本語がお粗末であったことだ。
しかし最大の不幸はほかにあった。食事だ。インドだからカレーが出るのは覚悟していた。二度までは結構おいしく頂いた。三度目に出たとき「またカレーですか?」というと「インドではずっとカレーです」というこたえが返ってきた。その通り、ずっとカレーだった!
そのうちカレーを見ただけで吐き気を催すようになった。生ものは控えるようにと言われていたのにカレー以外のものを、と生野菜や果物を食べて、かつて経験したことがないほど激しく吐き、また下痢もした。
 また格安ツアーはインド国内の移動が苛酷だった。寝台車の乗り心地は悪くなかったが、急かされながら重いトランクを持っての駅の階段の上り下りには、ふだん鍛えている身にも相当応えた。車での移動も6時間、7時間に及んだ。

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  今回、インド北部の3都市でインド国内の32の世界遺産のうち8つを巡った。
 デリーでは@ムガル帝国5代皇帝の居城・デリー城(赤い砦=レッドフォートとも)、A世界最高のミナレット(イスラム教礼拝施設に付随の尖塔)であるクトゥプ・ミナール、Bムガル2代皇帝の霊廟・フマーユーン廟を観賞した。
 アーグラではCムガル5代皇帝の愛妃を祀った「世界で最も美しい建造物」タージマハル(ここへきただけでもインドまではるばるやってきた甲斐があった!)、Dムガル3代皇帝アクバルが築いたアーグラ城、及びEその西約40kmに位置するアクバル大帝国の古都・ファテープル・シークリーを訪ねた。
 最後の宿泊地・ジャイプルではF天文学者でもあった土着の王がこしらえた天文台・ジャンタル・マンタルとG象のタクシーでアンベール城を楽しんだ。
 しかし最も深い印象を与えたのはもう一つの街、ガンジス河畔のベナレスだった。寝台列車は2時間半遅れで到着した。ベナレスに程近いお釈迦さまの4大聖地、すなわち生誕の地・ルンビニー、悟りの地・ブッダガヤ、初めての説法の地・サルナート、涅槃の地・クシナガラのうち、サルナートだけを訪れることができた。耳を澄ますと風に乗ってブッダの説法が聞こえてくる気がした。
 ガンジスの夕べと早朝の顔を見ることができた。日の入り後、河畔には大勢のヒンズー教徒が集まり、舞台上で感謝の儀式が始まる。花と炎と演奏と踊り。翌朝、ガンジスに浮かべたボートに乗り、朝日を浴びて沐浴する人々を眺める。古くからある火葬場も見える。ガンジスには生と死が、人間と神が、混在する。
 旅行中、フェイスブック上で、友人の娘さんが車いすのハンディキャップを克服し周囲の人に助けられながら大学を卒業した、という記事に接した。その大学、筑波大学の学長が式辞の中で卒業生に贈ったという言葉が胸を打った。
 「はやく行きたいなら、ひとりで。遠くまで行きたいなら、共に。」
 現在、インドの人口は増え続け、中国を抜いて世界一になろうとしている。先進各国からの投資を受けて、経済発展も著しい。自動車やオートバイは道路にあふれ、クラクションを鳴らしながら先を急いでいる。そんな騒々しさの中で悠然と足を踏みしめて歩く者がいる。牛だ。インドでは牛は神の使い、いくら急いでいても、道路を横切る牛には誰も文句を言わない。
 私は思う。インドにあって牛は人間の本当の幸福を立ち止まって考えさせてくれるからこそ神の使いなのではないか。この機会に、私も来し方を振り返りこれからの人生を考えてみようと思った。今回の旅の、ひそかな収穫である。

〔三焦兪(さんしょうゆ)〕三焦、すなわち体熱生産システムの診断・治療穴。
 取穴:5つある腰椎の1番と2番の間の高さで正中線の左右1寸5分に取る。
 治効:食あたりや疲労で消化機能が衰えての嘔気・嘔吐・下痢等に効くツボ。
《作者からの一言》雨はほとんど降らず、ひざしは日本の夏程度だった。(宮本)



上は三焦兪の図/タージマハルにて

 ●この文書は、当会会員である、宮本年起氏の創作です。

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