漢方つぼ物語(247)
翳風(えいふう)

〈 わが畏友 〉

  公私混同を批判された都知事は、「厳正なる第三者」に調査させると述べた。その調査報告が生中継されたのは近畿と関東が相次いで梅雨入りした直後の週明けだった。
私はそれを患家から帰宅途中の車のラジオで聞いた。そのときは全く気づかなかった。注意深く聴いていれば気づいたはずだ。知事が選任した「公正公平なる第三者」である元特捜検事の経歴を持つ弁護士が、ほかならぬ私の大学時代の畏友・佐々木善三氏であることを。
 その日の夜のニュース映像に、思ったより老けた印象の佐々木氏が映っているのを見て、私はわが目を疑うほどに驚いた。そして叫んだ。
「佐々木君やないか!」

***

  中央大学の前身は英吉利(イギリス)法律学校で、今でも法学部が有名だ。司法試験を志して入学する学生は数多く、大学側もそんな学生達に便宜を図って「研究室」という名の勉学施設を提供してきた。
それはゼミのための空間と図書室と、そして自習室を備え早朝から夜遅くまで無償で利用できた。ただし、入室希望者は多いので、入室試験に合格することが条件となる。数ある研究室の中でもとりわけ伝統と実績を誇るのが真法会研究室だ。ここに入室を許されたら、2人に1人は司法試験に受かる。
「なんだ2人に1人か」などと言ってはいけない。私が法学部の学生であった昭和40年代において、弁護士・検察官・裁判官になるための国家試験である司法試験には毎年3万人以上が受験し、そのうち合格するのはわずか500人程度しかなかった。合格率わずか1.5%という、たいへんな難関だったのだ。
 佐々木善三氏と私は真法会の昭和46年入室の同期として巡り会った。大学1年生・2年生に入室試験を受験するチャンスが与えられる。私は1年生でパスしたのだが、この同期同学年は特に優秀で、12人中7名が司法試験合格の栄冠を勝ち取り法律家として活躍している。ありていに言えば、7人の勝ち組の1人が佐々木善三氏で、5人の負け組の1人がこの私、ということだ。
 私はなにゆえに勝ち組に加われなかったのか。一言でいってしまえば「能力が足りなかった」と言うこと以外の何物でもない。それを認めた上で、私はある日、私の胸中に湧き起こった大きな不安について述べないわけにはいかない。

***

  私はひたすら司法試験合格を目指して勉学に励んでいた。実社会について、ほとんど何も知らないまま、六法全書の中に広がる仮想現実に基づいて法律の勉強に明け暮れていた。
そのまま何も疑問を抱かずに猛勉強を続けていたとしたら、合格の栄冠を勝ち取ることができていたかもしれない。しかし、ある日突然に、その不安は私の胸中をよぎり、私の心を捉えて放さなくなった。
(私のこの繊細脆弱なメンタリティで、犯罪を起こした人や民事の争いのさなかにある人を相手とする仕事を、生涯にわたって続けていけるだろうか?)
 弁護士・検察官・裁判官。これらをひっくるめて法曹(ほうそう)と呼ぶ。それらの職業はいずれも、現実社会にあって、なくてはならない仕事であるに違いない。しかしその仕事に適性があるかどうかはまた別の問題である。
 そんな迷いにとらわれたとき、実家に帰省して治療師(指圧師)として働いている父親の姿は頼もしく見えた。腰痛で這うようにして来院した患者さんが父の施術を受けた後、すっかり楽になってすたすたと元気に歩いて帰っていく。
そのとき、父親の姿は輝いて見えた。(これも良いかも)そう思った。

***

  10年前の夏、佐々木善三氏から電話がかかってきた。遠方からではなく、間近からだ。検察官となった彼は、特捜検事としてキャリアを積んだ後、なんと私の故郷である和歌山の地方検察庁のトップ、検事正として赴任してきたのだ。
 「こちらへ赴任してきた。いっしょに飯でも食おう。」
 約30年のブランクも気にかけず、彼はそう電話してきた。屈託なくいっしょに飯を食った。時あたかも裁判員制度が実施される少し前の時期だった。彼はこの新しい裁判制度のPRにも余念がない様子だった。
 1年3ヶ月後、かれは和歌山を後にした。明日転勤という日、かれは再び電話をよこした。
 「検事正室に遊びに来ないか?」
 和歌山地方検察庁の最上階である3階奥の検事正室で、しばしの間、想い出話にふけっての帰り際、彼は私に言った。
 「検事正として初めての赴任先に君がいてくれて心強かった。もしお願いできるなら、近く実施されるだろう裁判員制度が、民主的な良い裁判制度であることを、周りの人達に伝えてほしい。」
 その次に彼の姿を目にしたのは、今般のテレビのニュース画像なのであった。

〔翳風(えいふう)〕薬指に端を発し腕の真ん中を上る三焦経23穴中第17穴。
 取穴:耳たぶの後方で付け根。骨(乳様突起下端)と骨(下顎枝)の間の凹み。
 治効:平衡感覚を整えるツボ。平衡覚こそは法律家に最も必要な感覚であろう。
《作者からの一言》彼が正義感あふれる法律家であると私は信じている。(宮本)



上は翳風の図/新聞記事

 ●この文書は、当会会員である、宮本年起氏の創作です。

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