漢方つぼ物語(253)
  扶突(ふとつ)  

〈 発砲立てこもり事件 〉

 その事件が起きたことは、平成28年8月30日のお昼前、郵便局で知った。
 「塩屋で発砲事件が発生したようですよ。」
 塩屋といえばわが家から数百メートルしか離れていない。お灸をすえに来院される患者さんのご自宅が確か塩屋だったはず。にわかに心配になって、すぐさま携帯電話で安否を尋ねた。
 「私宅は、塩屋5丁目です。事件は塩屋1丁目で起こったみたいです。」
 塩屋1丁目! それは私がかつてお四国参りや山上参り(大峰山参拝登山)に、先達として引率していただいた先生宅から目と鼻の先だ。
 ニュース報道が伝えるところによると、この日の朝8時55分、建設会社「和大(わだい」興業」社長の次男が、従業員4人に発砲、1人が死亡、1人は意識不明の重体、残り2人も重体もしくは重傷であるという。また容疑者は保釈中の身で、この日、覚せい剤取締法違反の罪で収監されるはずであったという。
 それなら容疑者は以前、お四国参りをご一緒した初代社長(既に亡くなっておられ、奥様が後を引き継いだ)の息子ではないか。なんで覚醒剤などに手を染めたのだ、なんで銃を発砲なんかするのだ!
 拳銃2丁を所持した容疑者は車で現場から逃走、車をJR和歌山駅に乗り捨てて近くのホテルに潜伏しているところを市民に通報された。しかし警官が踏み込んだときはもうホテルを出ていて、事件現場の至近距離にある容疑者の自宅周辺を、ママチャリでうろついているのが目撃された。容疑者はパトカーに発砲した後、近くの工事中のアパートに立てこもり、拳銃を両手に持って仁王立ちしている姿がテレビで報道された。

***

 人質を取っているわけではないし、たった一人での立てこもりであるから、程なく解決するだろうと楽観していたが、容疑者が覚醒剤で興奮状態にあること、拳銃2丁を所持していて射撃について相当の技術を持っているらしいこと、などから和歌山県警ならびにその要請を受けて駆けつけた大阪府警の特殊部隊もうかつには近づけず、専門の交渉人が説得にあたりながら夜を明かした。
 翌8月31日、19年前にダイアナ妃が非業の死を遂げた祥月命日の日、容疑者はさすがに疲労・空腹を隠せず、
 「中華丼とビールを差し入れてくれ。」
と、交渉人に要求した。
 「拳銃を2丁とも渡して、投降するなら差し入れてやる。」
と応えたが、この取引は成立せず、なおも立てこもり状態が続いた。
 東京の病院で診療放射線技師として勤務している次女からメールが来た。
 「職場で、『お前のお父さん立てこもりしているぞ。はよ説得せい!』って、いじられている(笑)」
 苦笑しつつ、すぐさまこんなメールを返した。
 「ここまできたら、とことんやったるわい!」
 「おとんが、そう言っています、って職場の皆さんに、お伝えください。」
 娘から
 「伝えたら笑っていた(笑)」
 死者の出ている事件について、あまりに不謹慎なやりとりだが、娘が職場に溶け込んでいる様子が感じられて嬉しかった。そして、案外、この「ここまできたら、とことんやったるわい」は容疑者の実感ではなかったか、とも思った。
 この日の午後1時台に、近所のお寺に訪問治療させていただいた折、ご住職が私に尋ねた。
 「この事件、最終的にどんな結末を迎えると予想しますか?」
 少し考えてから、私は答えた。
 「次第に覚醒剤も切れてきて、ふと正気に戻りかけたとき、とんでもないことをしてしまった、と気づくと思うのです。そのとき手には拳銃がある、良心の呵責に耐えかねて、銃口を自分に向けるような気がします。」
 そのあと、3時台にトレーニングジムでストレッチレッスンを一緒に受けた人たちが、容疑者を話題にしていた。地方都市にあって世間は狭い。
 「容疑者の嫁さん、私、知っているのよ。若いときに両親を亡くして、この人と結婚するとき、『今まで辛いことが多かった分、きっと幸せになるのよ!』って私、祝福したのに!」
 そしてこの日の夕刻、午後6時40分、事件は急転直下、落着した。私の予測通り、容疑者は両手に持った拳銃の引き金を同時に引いて、自らの腹部に2発の銃弾を撃ち込んだ。中華丼をかき込みたかった空きっ腹には冷たい鉛の弾丸が打ち込まれたのだ。
 全国を驚かせ、近隣を震撼させた事件は、発生から33時間45分で決着した。

〔扶突(ふとつ)〕人差し指から肩・頸を経て鼻の横に至る大腸経の第18穴。
取穴:のどの出っ張り(甲状軟骨)上縁の高さ、その外側3寸(指4本の横幅)。
治効:頸のこりをほぐしストレスを和らげる。ストレスをためてはいけない!
《作者からの一言》先達先生の奥様は事件のストレスで2kgやせたとか。(宮本)



上は扶突の図

 ●この文書は、当会会員である、宮本年起氏の創作です。

[前のページへ] [次のページへ] [メニューへ戻る]
[トップへ戻る]


社団法人 和歌山県鍼灸マッサージ師会
 〒640-8341  和歌山市黒田97−14
 電話  073-475-7771  FAX   073-474-2241

 メールはこちらまで  info@washinshi.com