漢方つぼ物語  (58)

石(せき) 門(もん)

 盲学校の非常勤講師として二年目。ようやく教師と治療師の二足のわらじも履きなれてきた。今年は週に3回、午前中教壇に立つ。帰宅すると午後の患者さんがすでに待ってくれていて、昼食を後回しにして臨床にとりかかることもしばしばだ。最新の臨床経験を学生たちに伝え、視覚にハンディキャップのある人たちが勉強に励んでいることを患者さんにお話をする。業界と教育機関の連携を期待されての勤めであるが、同時にまた社会のバリアフリーに向けての役割も果たしていけたらと思う。
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 私にとって初めての教え子である今年の卒業生の一人から、便りが届いた。「教え子」といっても私より年長。自分自身の視覚障害に加えて、病気がちなご主人を持ちながらも、周囲の人々の温かい応援と励ましをよすがに今春、見事に鍼灸マッサージ師の資格を勝ち取ったバイタリティあふれる女性である。とはいうものの治療師としてのスタートには戸惑いと不安を隠せない様子だ。
「お久し振りです。 …国家試験合格から日も経ち、これからどうしようかと悩んでいます。…自信がありません。…一人で思い悩んでいます。…」
 この悩める教え子をどう勇気づけようかと考えているとき、たまたまスイッチを入れたラジオが、海外で活躍するある女性鍼灸師のインタビューを伝えた。
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 「…遠くネパールの地で、国際ボランティアに打ち込んでおられる畑美奈栄さんと電話がつながっています。…」
 (畑さんだ!)私は思わず心の中で叫んだ。11年前、研修会で直接ご本人のお話を聴かせてもらったことがある。40代半ばにインドを旅行。そのおりに立ち寄ったネパールで病気の子どもを抱えた母親と出会い、この国に東洋医学を伝えようと一念発起して鍼灸学校に入学、50歳近くでネパールに渡り赤十字の協力と日本の有志からの寄付で東洋医学の学校を設立。育ってくる治療師達とともに附属治療所で連日300人の患者に施術。治療所まで足を運ぶことのできない人々のために巡回治療もこなす。ラジオ越しの、ネパールからの畑さんの声は、64歳とは思えぬほどに若々しくはずんでいた。
 「永年の夢だったもぐさ工場が完成しました。当地で自生するよもぎを原料にもぐさを作り日本市場に売り出せば、活動の資金的な裏付けが得られます。」
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 「拝復 良い時候を迎えています。卒業以来ご無沙汰していますが、お元気そうで何よりです。お便りと卒業式のスナップ写真、受け取りました。袴姿・振袖姿・スーツ姿と装いは違っても皆それぞれに輝いて見えます。あなた方は私が非常勤講師として初めて世に送り出した自信作です。とりわけあなたは、4人の中の最年長でありながら他のクラスメートに一歩も引けをとらずに知識と技術を磨かれました。どうか強い自負を抱いて、焦らず着実に歩みを進めていってください。あなたを励ますためにある女性鍼灸師のお話をしましょう。その人は畑美奈栄さん。15年前に単身ネパールに渡り、かの地の若者たちに東洋医学を教え、現在までに約70名の鍼灸師を養成、週に二千人以上の患者を治療するほか、この国の津々浦々まで出かけていって、巡回治療を続けておられます。20年前、この国を旅行中にたまたま出会った親子の、熱にうなされた子供のうつろな目と、わが子の病を治すために必死で旅行者である畑さんに薬を所望する母親の姿が、この壮大な国際ボランティアのきっかけであったそうです。ネパールはヒマラヤ山脈の中腹に位置する寒さの厳しい国なのに、貧しさゆえに人々は履物もはかずに薄着でいるため、冷えから来る病気が多いのだそうです。それゆえ灸治療がとりわけ効果があるというのもうなずけます。自然の恵みで、ちゃんと良質のもぐさが自生していて、この春、そのもぐさを加工するよもぎ工場が竣工されたとか。天はまじめに努力するものを決して見捨てないのですね。でも、ネパールで鍼灸治療を始めた当初はそんなもので病気が本当に治るのか、と人々は半信半疑であったらしく、一人また一人と確かな治効の実績を積み重ねて、信頼を築かれたのだそうです。私たちも同じ治療家として、畑さんに負けない高い志をもって、そしてあくまで地道に、この業を歩んでゆこうではありませんか。ネパールでしばしば用いられる特徴的な灸治療は、棒灸と呼ばれる棒状の太いもぐさで体の芯を温める方法だそうです。へその下2寸、石門のつぼあたりをじっくりと温めて、体の奥底から生命力を導き出しましょう。石門で思い出しましたが、「石」の上にも三年といいます。人間というものは、三年という期間、志をしっかりと臍下丹田に込めて、たゆまず努力すれば必ず、次の段階への「門」が開けるのだと申します。この三年間、免許取得に専念し、その目標をクリアしたあなたです。これからの三年間は、得られた資格を存分に活かして、さらに大きな目標に向かってください。
            自慢の教え子へ  情熱の非常勤講師より   」

〔石門(せきもん)〕任脈の5番目のつぼ。三焦経の募穴。
    取穴:下腹部正中線上で神闕(臍)の下方2寸に取る。
    治効:下腹痛・下痢、便秘・尿閉、婦人病・冷え症に。



 ●この文書は、当会会員である、宮本年起氏の創作です。
  尚、前段の物語の部分はフィクションです。


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