漢方つぼ物語  (67)

完(かん) 骨(こつ)

 冬の独房は冷える。毛布をまとい、我が身を抱くようにして眠る。それでもなお、寝付かれぬ夜もある。過去の記憶が、眠ることを許さないのだ。眠れぬ夜があまりに苦しくてうめいていたら、看守のMさんが耳の後ろの安眠のツボを教えてくれた。この人はほんとうにいろんなことを知っている。
 私は死刑囚、34歳。刑が確定して既に7年、もはや面会人もいない。いや、一人だけいた。教誨師(きょうかいし)のHさんだ。受刑者に説教して改心させるのがお役目だろうが、私のような、二度と娑婆(しゃば)に出られぬ者を相手にして何になるのか。しかし月に一度やってきては熱心に話をする。その熱心さに圧倒されて神妙に耳を傾けるが、生み育ててくれた親に感謝せよ、という段に話が及ぶと思わず反発してしまう。
「死刑で果てるような身の上になっちまったのは親のせいだ。恨みはあっても、感謝しなきゃならねえ筋合いはこれっぽっちもあるものか!」

***

 教誨師さんからの差し入れだ、という看守さんの声に驚いて見ると鳥かごに入った文鳥だった。二匹ある。チッチ、チッチとさえずっていてやかましい。そんなもの飼う気はない、と断ったが、人の気持ちを無にするな、とたしなめられた。しばらくは無視していたが気まぐれに朝のパンのくずをやるとうれしそうに鳴く。昼・夜の麦飯の粒を食わせてやると上機嫌だ。パンくずや麦飯なんぞでそんなに喜ぶなら、本物の鳥のエサをやったらどれほど喜ぶだろうと思った。しかし自由になる金はない。エサを買う金を稼ぐしかない。私はわずかな時給をめあてに、懲役囚と一緒に働くことを申し出た。得た金で買った鳥の餌をついばんで、文鳥たちは想像以上に喜んだ。私はすっかりこの生き物に愛着を感じ始めていた。そしてそのとき、ようやくこの二羽の文鳥が番(つがい)であることに気づいたのだ。
「ん? こいつらは雄と雌、夫婦なんだ。ならヒナが生まれるかもしれん。」
私は、ものしりの看守さんにたずねた。
「Mさん、文鳥にヒナが生まれたら、同じこの鳥のエサをやればいいのかな?」
Mさんは私の質問にこう答えた。
「ヒナは普通のエサじゃだめだ。すり餌をやらにゃあ育たんぞ。鳥のエサに出たばっかりの柔らかい葉っぱを混ぜて、親鳥から口移しで食わせてやるんだ。」
 私はまた働いて菜種を買った。土がないので雑巾にたっぷり水をしみ込ませて菜種をまいた。菜種はちょろっと根を出し申し訳程度に芽も出したがついに葉は出てこなかった。根が張らないからだろうか。やはり土でないと葉っぱは出ないんだ。今の今まで、土にまみれて働く人を馬鹿にしていた。生命を生み出す土の尊さが分かっていなかった。私は生まれて三十数年、自分のためにも下げたことのない頭を下げて、刑務所の所長さんに願い出た。
「生まれてくるヒナのために、菜種の葉っぱがいるんです。菓子折いっぱいの土を差し入れてもらえませんか。」

***

 ヒナが生まれた。親鳥からすり餌をもらって、日に日に成長している。
「大きくなれよ。おまえらは俺がしっかり育ててやるから、心配するな。」
 いつ刑場に果てる身ともしれぬ我が身であることも忘れて、文鳥とそのヒナを育てる日々は、私の生涯で最も至福の時であったと実感する。しばらくぶりで面会に来てくれたHさんと顔を合わせるなり、私は自分を抑えきれず、幼子のようにHさんにしがみついて号泣した。
「私は…私は差し入れて頂いた文鳥を育てる中で、ようやく親の恩というものがわかりました。生み育ててくれた父母への感謝の念が湧いてまいりました。」
 驚くHさんの懐にうずもれながら、私は涙を出しっぱなしにしていた。

***

 そして今日…。私は明朝、刑の執行がなされることを宣告された。教誨師のHさんが飛んできてくれ、興奮に身をふるわせながらこう言われた。
「人間らしい心境を得た今、なぜ刑を執行しなければならないのか。抗議する。」
 さりとて法に基づく裁判によって死刑が確定し、定められた手続きに則ってなされた決定がくつがえるはずはない。私は自分でも意外なくらい冷静に、Hさんの手を取って今までの礼を申し述べ、何か言い残したいこと、誰かに伝え置きたいことはないか、とたずねてくれるHさんにこう言った。
「もしも今度生まれるときは、人を喜ばせる子どもとして生まれてきたいです。明日、私のような者の刑を執行するために、執行官の方がずいぶん嫌な思いをされることと思います。どうか心からのお詫びをお伝えください…。」
 執行を前に、私の心に二つの強い思いが去来した。育てた文鳥たちとの別れを哀しむ思いと、そして自分の犯した取り返しのつかない罪を悔いる思いとが。
(物語中の教誨師さんの、お孫さんから伺ったお話を元に再構成致しました。)

〔完骨(かんこつ)〕身体の側面を下へ降りる足の少陽胆経の第12番目のつぼ。
 取穴:耳の後ろの骨の突起(=側頭骨乳様突起)の中央後方に取る。
 治効:失眠(=不眠症)、偏頭痛、めまい。項(うなじ)のこわばりにも。

《作者から一言》今回のお話は、前回のお話で取り上げた私の母校での道徳の授業で6年生に話した内容です。6年生全員が感想の手紙をしたためてくれて、文集にして届けていただきました。その大半は、この死刑囚と教誨師のエピソードに対するものでした。
「僕も(私も)父母に感謝して親孝行します。」と、何人もの児童が書いてくれているのを読んで、親孝行でない我が身を、大いに恥じました。
「しけいにされた人は、文鳥とはなれてすごくかなしかったと思います。」という感想に触発されて、本文最後の2行を書き加えました。(宮本)


 ●この文書は、当会会員である、宮本年起氏の創作です。

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