漢方つぼ物語  (71)
復(ふく) 溜(りゅう)

 八千キロの距離を隔てた日本の皆様へ、とりわけ日本の若い世代の皆様方へ、東欧のベラルーシ共和国よりお便り致します。私はエレーナ・マルシコフ、夫と17歳の娘と三人で暮らしています。
 5年前の2000年7月、私どもは息子を亡くしました。もし生きていたらこの秋に二十歳を迎えるはずだった息子のアンドレイは、10歳の時に難治性の白血病を患いました。アンドレイがまだ赤ん坊の時、私どもの国のすぐ近くにあるチェルノブイリの原子力発電所で大きな爆発事故が起こりました。皆様の国のヒロシマという所に落とされたという原子爆弾の500倍にも相当する放射能が降り注いだのだそうです。その60%はこのベラルーシに舞い降り、国土の30%が汚染地帯となりました。何年もその事実は一般には知らされることなく、私どもの息子もその犠牲となったのです。風があの方向に吹いていなければ、放射性物質をいっぱい含んだ雨に打たれなければ、といくら悔やんでも、今はむなしいばかりです。
 でも息子はとても幸運でした。独立して間もない私たちの国は、経済が崩壊してとても貧しかったけれど、アンドレイの入院したゴメリ州立病院では日本やドイツからの医療支援のお陰で、白血病の治療成績が少しずつ上がってきていました。小児病棟で開始された院内授業に「元気になってまた学校へ戻れるんだ!」という希望を、親子共々、取りもどすことができました。
 ただ…アンドレイの病状は特に重かった。簡単にはいかなかったのです。

***

 抗がん剤はがん細胞だけでなく、増殖の盛んな胃腸粘膜や髪の毛の毛根にも働きます。そのために吐き気は止まず毛髪は抜け落ちるのです。やっつけるべき白血病細胞はそれでもなお、しぶとく増え続けます。このままでは白血病を治せない!アンドレイに与えられた最後のチャンス、それは末梢血幹細胞(まっしょうけつ・かんさいぼう)移植という方法でした。幹細胞という白血球を再生してくれる細胞をあらかじめ取り出しておき、白血病細胞を抗がん剤で叩きのめしたあと、この幹細胞を戻すのだそうです。日本のドクターの指導のもと、ベラルーシで初めての移植手術が行われました。1998年2月、1年の中でも最も寒さの厳しい季節でした。移植の数日後、アンドレイは発熱と口内炎のために全く食事を受け付けない状態に陥りました。そのときに若い日本人ナースが、たしかヤヨイさんという名前だったと記憶するのですが、息子に尋ねて下さった。「何か食べたいものがある?」「どんなものなら食べられると思う?」息子はあえぎながら答えました。「パイナップルなら食べられるかも…前に一度だけ、家族と一緒に食べたことがある。すごくおいしかった…。」

***

 ヤヨイさんは毎晩、雪に埋もれた氷点下20度の町を、アンドレイのために、パイナップルを探しに出かけてくれたのです。雪と氷の季節に生のパイナップルは見つからなかったけれど、その話を伝え聞いた方が缶詰のパイナップルを病院に届けてくれました。パイナップルを口にしたアンドレイはこれをきっかけに食事できるようになりました。何度も危機を乗り越えたアンドレイはその二年半後についに力尽きて天に召されました。でもアンドレイは幸せだったと心から思っています。元気になったら日本へ行きたい、日本でお友達を作りたい、という望みは叶えられませんでしたが、難しい病気と勇敢に戦った息子を、私は誇りに思っています。そしてそんな息子を支えてくれた日本のドクターやナースのことを、皆様にお伝えしたかったのです。息子アンドレイに、そして私ども家族に、希望と愛を与えて頂いて、本当にありがとうございました…。

〔復溜(ふくりゅう)〕足の少陰腎経の第7穴で、腎経の働きを高める重要穴。
 取穴: 内果(内くるぶし)の上2寸(手の指3本分)でアキレス腱の前。

 治効: 漢方で腎は泌尿器・生殖器・内分泌系を包含する生命維持の根幹で
    五行で水に配当される。水を強める金穴が復溜。腰痛や冷えに用いる。

《作者から一言》
 平成17年6月26日、日曜お昼放送のNHK・FMのインタビュー番組に、14年前、当時信州の病院長として理想の医療を求める激務の中にありながらベラルーシの惨状を見かねて医療援助に赴いた鎌田實(かまた・みのる)医師が出演されていた。そのお話に私は強い感銘を覚えた。生命力の限りを尽くして白血病と闘うアンドレイ少年の傍らにもし私がいたら、鍼灸マッサージ師として、何ができただろうか、と考えた。「復溜」のツボで生命力を高めることができたかもしれない、とそんなことを夢想した。放送の中で、鎌田医師の著作「雪とパイナップル(集英社刊)」が紹介されたので、すぐ書店に求めに走った。最近できた図書館顔負けの大きな本屋さんで、検索用の機械に書名を入れると即座に「406列10番の棚に在庫がございます。」と出てきた。その書棚の前に立った私の目に「心あたたまる感動の絵本」の美しい表紙が飛び込んできた。一気に読み切り、あまりの感動でまさに号泣してしまった…。

 アンドレイ少年の母になりきって、したためた手紙が今回の作品です。


 ●この文書は、当会会員である、宮本年起氏の創作です。

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