漢方つぼ物語  (73)
小(しょう) 海(かい)

 「嫁さん、大事にするか?」
 そう尋ねると同時に両肩に掛けたロープが緩められる。真っ逆さまに崖からずりおろされた修行者は声をうわずらせた。
 「します、します、します!」
 恐怖の余り、
 「します、します、何でもする!」
と叫ぶ者もあった。
 修験道の開祖・役小角(えんのおづぬ)、すなわち役行者(えんのぎょうじゃ)が開いた大峰山・山上ヶ岳の山頂に近い表行場・西の覗きで、初めてこの山に足を踏み入れた者が受ける荒っぽいもてなしである。そんな旅の新客を横目に、
 「借金している相手をここに連れてきて、『借りた金、棒引きにするか?』ときいたら、きっと『します、します!』って言うな。」
などと軽口を叩き、大笑いした。
 昨日は昼過ぎに大雨が降ったと言うが、今日の大峰はひときわ晴れ上がって吉野の山々が青と緑の絶妙な色彩のコントラストを描いている。それだけに崖の底まではっきり見える捨身の行は、さぞかし身にしみたことだろう。表行場のもう一つのハイライトは鐘掛け岩。この岩には伝説がある。その昔、寺の好意で住み込んで修行していた山伏が、新しく代わった住職から追い出された。
「寺で金目の物は鐘くらいだ。あれでも持って出ていっておくれ。」
翌朝、住職が起きたらなんと釣り鐘がない。探しまくったら切り立った岩に杖が突き刺してあり、その上に鐘がかぶせられていた、というのだ…。
 鎖をたぐりながら、その切り立った鐘掛け岩をよじ登る。足の運びを間違えると最後のところでどうしても登り切れない。

***

 ご縁を頂いて昭和62年の夏に初めて大峰に参って以来、十数回の山上参りを重ねた。私どもの一行はここ最近、女性のほうが優勢だ。と、そういうと
(えっ? 大峰山は女人禁制の山じゃないの?)
と疑問に感じるかもしれない。実は大峰山は、いくつかの山をひっくるめての総称で、女性が入山を認められていないのはそのうちの山上ヶ岳だけなのだ。そして、標高1,719mの山上ヶ岳は大峰山系の山々のうち最高峰ではない。 近畿最高峰の八経ヶ岳(はっきょうがたけ)は1,915m、そして弥山(みせん)が1,895mと山上ヶ岳より高い山で、女性が登れる山はほかにある。そんな中で私どもの一行の女性が参るのは蛇ノ倉岳。7世紀頃に役行者さんがこの山で修行中、その母が心配して山に入ろうとしたが二匹の大蛇に阻まれて、やむを得ずその手前で待機した、との伝説の山である。距離は短いが、勾配の大きい登山道を持つ蛇ノ倉岳は、山上ヶ岳に劣らぬ修行の山である。

***

 男山・山上ヶ岳は女人結界から山頂まで約5q、若く健脚な者なら1時間半もあれば登り切るほどの山だが、午前11時に出発した私どもが二度三度、小休憩をしながら山頂にたどりついたとき、時計は午後2時を指していた。途中、これはしんどいと思うときもあったが、さわやかに吹き抜ける極楽の余り風や尾根の両側に開ける絶景に励まされ、また「役行者の助け水」と名付けられた湧き水に喉を潤しながら、登り着いた。まことに良くできた修行の山である。 
 山頂の大峰山寺では今回、初めて内陣にはいることを許され、行者像を拝観できた。毎年5月3日の山開きの日と、山を閉じる9月23日だけご開帳になる秘仏だ。昭和58年から62年に本堂の建て替えが行われたときの調査では、約七百年前に彫られたものであるという。両目に水晶をはめ込んだ黒光りする木像に合掌すると、行者の修行の厳しさが伝わり、身の引き締まる思いがした。

***

 洞川(どろがわ)の行者の宿で一泊して、翌朝午前4時半、夏でもなお凍るばかりの龍泉寺の水行場で、胸まで水に浸かってのおつとめ。未明の空はなお薄暗く、すっくと天を突く枯れ杉の梢(こずえ)のあたりに星が瞬いている。このところの晴天続きのために池の水量は減少していて、正座して合掌すると、腕では肘の先の小海(しょうかい)のつぼがかろうじて水につかる。足腰から胸そして肘先と、水に接したところが刺すように痛いが、般若心経を唱えているうちに次第に心地よいしびれと感じられるようになってゆく。水行を終えて宿に帰る頃には冷水に浸っていたところがぽかぽかとほてってくる。腕は小海だけが水に接していたのに、腕全体がほてっているのは、そのつぼの効き目か。
 この日、天河弁財天から吉野の蔵王堂、そして三輪明神を順次参拝して帰途についた。今回は永く導いて頂いた先達の先生が、「これを以て一応の区切りとする」とのことで、この節目に私は推薦を頂いて龍泉寺より大先達を賜った。 
 さんげして心新たに六根清浄(ろっこんしょうじょう)を誓う参詣であった。

  〔小海(しょうかい)〕腕の背側・小指寄りを肩へ向かう小腸経8番目のつぼ。
 取穴:肘を半ば曲げて、肘頭と上腕骨内側上顆との中央、圧すと小指に響く。
 治効:肘関節の症状をはじめ、腕全体の痛みやしびれに広く用いられる。

《作者から一言》 先日、NHKのローカル放送で和歌山の民話絵本の出版に関わっているグループの皆さんと「人形劇風紙芝居」を読ませて頂きました。 
 その帰りに突如鳴り響く携帯電話。それはなんと、映画出演の依頼だった!秦の始皇帝の命を受け不老長寿の妙薬を求めて紀伊半島に渡来したと言われる徐福の伝説を題材した自主制作映画で、徐福の子孫の仙人役(年齢137歳!)を演じてほしいというのです。映画出演などめったにない機会、と引き受けてしまいました。今回の大峰行きは、その役作りともなりました。山頂の手前の休憩小屋で、仙人にぴったりの自然木の杖を買って帰りました。  〈宮本〉


 ●この文書は、当会会員である、宮本年起氏の創作です。

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