漢方つぼ物語(78)
足(あし) 五(ご) 里(り)

 「なんと整然とした町並み、そしてなんて美しい街路樹なんだろう…。」
 昭和27年夏、長野県飯田市立飯田東中学校の校長である松島八郎先生は、全国校長会出席のために訪れた北海道・札幌市の風景に強い感動を覚えずにはいられなかった。そして松島校長のこの感動こそが、まれに見る「中学生による町作り」の原動力となった。

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 松島校長がそれほどまでに札幌の町並みの美しさに感銘を覚えたのには理由があった。
 昭和22年4月、飯田市はその四分の三が燃え尽きるという未曾有の大火に見舞われた。戦災からの復興の緒に就いたばかりの町をおそった大火事は、人々に言いしれぬ無力感を与えた。松島校長が長野県の学務課から飯田東中学校に赴任したのは、まさにそんな時だった。市を縦横に貫く幅25mの緑地帯を「防火帯」として設ける計画が進められていた。
 「皆さん、私はこの夏に会議のために札幌に出張してきました。そして素晴らしく美しい町並みと街路樹を見てきました。残念ながら私たちの町は今のところ、まだ焼け跡だらけですが、いつの日か札幌に負けないくらいの美しい町にしたいものですね。ヨーロッパにはりんごの並木があって、実がなる季節に町の人は、落ちた実をそっと並木のそばのかごの中に入れるのだそうです…。」
 新学期早々の朝礼での松島校長のお話は生徒たちの心を揺すぶった。焼け跡だらけの町を哀しんでいたのは、生徒たちも同じだったのだ。生徒たちの議決機関である学友会は、自分たちでりんご並木を育てることを決議した。そして学友会の代表たちが先生方と一緒に市役所にお願いに行った。
 「それは無理というものだ。りんごは栽培がむずかしい。それに百歩譲ってりんご並木ができたとしよう。秋に実がなったら、道行く人はそれを食べてしまう。市民から泥棒を出すようなりんご並木を作るわけにはいかない。」
 意気消沈して学友会に報告したが、生徒たちは引き下がらなかった。
 「ぼくらがりんご並木を育てたいのは、秋に実がなったとき、だれ一人それを盗ろうとしない、心のきれいな人ばかりが住む町を作りたいからなんだ!」
 再び市役所の門をくぐる。前とちがっていたのは新しい助役が就任していたことだった。助役はなんとかしてこの町をよくしたいという情熱に燃えていた。生徒たちの訴えにじっと耳を傾けていた助役は目を輝かせて言った。
 「皆さんの真剣な思いを市長と議会に伝えます。ぜひ実現させましょう!」
 生徒たちの願いは聞き入れられた。すべての費用を市が負担した上で、防火帯の中心部に飯田東中学校の生徒たちがりんご並木を育てることになった。

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 それからが苦労の連続だった。たしかにりんごは栽培の困難な果物だった。まずは苗木を手に入れることから始まった。りんごの栽培をやめることになった人が苗木を譲ってくれる幸運に恵まれたりして、翌年の昭和28年11月には植樹が行われた。試行錯誤と工夫の果てに昭和30年の6月には49個の実がついた。しかし…11月に収穫できたのはたったの5個。ほとんどが盗まれたのだ。涙の収穫だった。子どもたちの努力と落胆をつぶさに見ていた一市民が義憤を感じて新聞社に訴えかけ、記者はそのことを記事にした。記事は反響を呼んで全国版にも掲載された。飯田東中の生徒たちの高い理想に心打たれ、激励の手紙が届いた。広島県尾道市から毎月手紙を送り続けた「ビンゴなみ」こと有安 勇さんもその一人だった。有安さんはりんごが大好きだった一人息子を戦地で亡くしていた。信州飯田の地で中学生たちによってすくすくと育っていくりんご並木は有安さんにとって愛する息子そのものだったのである。平成4年10月、高知市に移り住んでいた有安さんは、飯田市の市政功労賞を授与された。県外の人に贈られたのは初めてのことだった。有安さんは平成7年の年の瀬に逝去されるまでの40年あまりの間に、千通を超す励ましの手紙を送り続けたのだった。
 その後りんご並木は順調に生育した。昭和31年には約五百個の収穫を主に福祉関係施設に贈ることができた。台風に泣いた年もあったが、昭和30年代終盤に既に数千個に達していた収穫は、昭和51年についに総数で1万個を突破した。昭和59年には内閣総理大臣賞と吉川英治文化賞のダブル受賞に沸き立った。りんご並木の世話は先輩から後輩へと、とぎれることなく引き継がれた。そして生徒たちだけでなく先生方や保護者、地域の人たちが関わる中で「心のきれいな人ばかりが住む町作り」という当初からの理想に向かって、大きな輪が広がっていった。飯田市内の下伊那農業高校との交流の中で、並木花壇が色とりどりの花で彩られるようになったことも新しい展開である。

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 平成15年10月18日、飯田の空は抜けるように青く晴れ上がっていた。この日、りんご並木50周年記念式典が執り行われた。50年前に植えられたりんごの木が今なお二本残っていて、立派に実をつけた。古木に実ったりんごは秋のひざしをいっぱいに浴びて、誇らしげに胸を張っているように見えた。

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 史上初の女性作曲家にして医療者でもある12世紀ドイツの聖ヒルデガルドは「りんごは眼病をいやし頭痛・黄疸・消化不良を改善し利尿作用・鎮静作用がある」とその著作に記している。漢方のつぼでこれとよく似た効用を持つのは肝経の足五里だろう。肝経は眼や頭を中心とする調整力の強い経絡であるが太ももの内側、鼠径部近くに位置する「足五里」穴は整腸と利尿の作用がある。

〔足五里(あしごり)〕足の厥陰肝経13穴中の第10番目のツボ。
取穴:大腿内側の鼠径部寄り1/6。大腿動脈が脈打っているところに取る。
 治効:おなかの張る時、小便が出にくい時。また眼の症状や内股の痛みに。

《作者より一言》先日、和歌山市の保健所のご依頼で健康セミナーの講師をつとめてきました。「和歌山健康博 ストレス解消スマイル館」と小粋なタイトルを付けて頂いて。そのおり、保健所の職員の方が「サックスで数百曲、すぐに吹けるので老人施設等のボランティアに同行したい」とおっしゃるので先月末、わが家の近くのデイサービスにご一緒しました。私の腹話術とマジックの合間にサックス演奏をバックにみんなで歌う、というスタイルが大好評。当面、月一回くらいこのユニットでいろんなところへ行きましょう、ということになりました。


 ●この文書は、当会会員である、宮本年起氏の創作です。

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