漢方つぼ物語(82)
胸(きょう) 郷(きょう)

 「5月23日の午後、なんとしても予定を開けておくように。」
総会に向けての役員会議の連絡と併せて、私の所属する社団法人和歌山県鍼灸マッサージ師会の堀会長からそんな指示を受けたのは、4月中旬のことだった。なんと本年度の和歌山県知事表彰を受賞することになったのだという。

***

 表彰式には妻の両親からの祝い金で新調したスーツに身を包んで妻と二人で臨んだ。配偶者のみ同伴出席が許されていたのだ。
 式典は熟年の男声コーラス・とらふす合唱団による和歌山県民歌で幕を開けた。今回は54回目の表彰で個人84人と5団体が受賞した。昭和28年から始まり、これまでの受賞者は団体・個人併せて四千三百余に達するとのことだ。部門別に代表者が知事より表彰状と記念品の銀杯(団体は楯)をいただいた。県議会議長の祝辞を賜り、受賞者を代表して大正琴を通じての国際交流に尽力してきた団体の代表がお礼の言葉を述べた。
「紀州美人ここにあり、と自信を持って始めましたが、いつのまにかこんなに年をとってしまいました。今回の受賞を励みにして、ますます精進いたします。」
満面笑みをたたえての挨拶で会場は和やかさを増した。式典閉幕後、私の仕事の担当課である福祉保健部医務課の大平課長さんが「おめでとう」と祝ってくださったのには感激した。

***

 「政治家からどっさり祝電が来るから驚くなよ。」
 会長から前もって言われていた通り、表彰式に先だって国会議員、県会議員の先生方や和歌山市の三役から祝福のメッセージが連日続々と届いた。そして思いがけない一通の葉書は、それらより少し遅れて届けられたのだ。
 文面はおおよそ次のような内容だった。
「暦の上ではもう夏、梅雨入りも近いようです。新聞紙上に懐かしい人の名前を見つけました。宮本年起君 宮本姓は多いですが、年起という名はそんなに無い筈ですから、多分私の知っている宮本君に間違いないと思います。この度は知事表彰受賞誠におめでとうございます。実に快挙ですね。何が素晴らしいのかと言えば、表彰を受けたことではなく、【保健福祉の増進】に永年尽力されたことが素晴らしいことだと思うのです。私の思っている宮本君の姿は、今から丁度四十年前、西和中学校の二年生。体格はやや小柄、顔は丸顔、積極的でユーモアに富み、落語や小咄が得意。お人好しで他人の世話をよくする生徒でした。…ところで私を思い出せますか? 分かったら手を挙げて下さい。分からなければそのままで。人違いでしたら深くお詫びします。」

***

 それは決して忘れることのない中学校時代の担任の先生からの便りだった。優しい先生だったが、けじめの厳しい先生でもあった。外見でひとをからかうことを決して許さなかった。間違ったことと正しいことをはっきりと区別する先生だった。そしてなによりも、どの生徒にも同じ厳しさで接する先生だった。叱られても爽やかだったのは、叱る基準がはっきりしていて誰に対しても同じだったからだ。私はすぐに礼状をしたためた。
「白衣代わりのTシャツの襟元が汗ばみます。今年の夏は暑くなりそう。一枚の葉書がこんなにも大きな喜びと懐かしさを運んでくれたことに、驚きに近い感謝を抱いています。ご推察の通り、昭和41年度に西和中学校で担任をしていただいた宮本年起です。小柄で丸顔、落語や小咄の大好きな…。先生のことは決して忘れたことはありません。学校の休みの日に、H君やS君や私を含むおおぜいの教え子を山歩きに連れて行って下さったことを、昨日のことのように鮮やかに想い出すことができます。H君などはその時の楽しさが忘れられずに、大学でワンダーフォーゲル部に入ったとか…。ご自宅に押しかけたこともありました。その先生からお祝いの言葉を頂けたことで、このたびの知事表彰受賞が何倍も嬉しく感じられますとともに、受賞の意義をもう一度深くかみしめることができました。心から御礼を申し上げます。先生、どうかお元気でお過ごし下さいませ。」

***

 授賞式の五日後は、和歌山県鍼灸マッサージ師会の年次総会だった。司会者から促されて、受賞の報告とお礼を申し述べる中で、私は恩師から届いた祝いの葉書に触れて、こう挨拶した。
「…かつての恩師からの葉書で、私はあらためて世の人々のために尽力できる天職とめぐり会えた幸せを感じております。この喜びを業友である会員の皆様お一人お一人と、分かち合いたく存じます。」
 晴れがましさの中で私は、一抹の胸の痛みをも感じていた。公共の福祉増進に功労のあった者、その他広く県民の模範となるべき者を表彰して、その功績をたたえることが目的とされるこの栄誉を受けるには、私は年齢的にも実績においてもいまだ時期尚早であると思われた。私より先に受けるべき先輩が私に譲ってくれたことは明らかだった。しかし、すでに身に余る光栄に浴した今となっては、この胸の痛みを肝に銘じると同時に、故郷に微力を捧げ続けることを誓おう。「胸の痛み」から発して「故郷を胸に刻もう」と、思いを巡らせていると、不意に「胸郷(きょうきょう)」というツボの名前が頭に浮かんだ。 この胸の痛みを、胸郷のツボはやわらげてくれるだろうか?

〔胸郷(きょうきょう)〕足の親指内側から腹・胸に向う脾経の19番目のツボ。
取穴:第3肋間、正中の外方6寸(乳首は第4肋間で正中から4寸)。
治効:肋間神経痛や胸部疾患に起因する胸の痛みに広く応用される。





写真は授賞式の後、和歌山県福祉保健部医務課の大平芳伸課長と。

《作者から一言》
 私が非常勤講師としてつとめる和歌山盲学校には三人の自慢の先生がいます。
第一はご自身が盲学校の出身者である教頭先生。二番目に腹話術の出来る講師先生(私のことです)。そして三番目はなんと、東洋医学のふるさと中国・上海出身の先生! その先生が、韓国・ソウル出身の女性とめでたくゴールイン。そのてんまつと披露宴の様子は次号!(←「漢方つぼ物語」初の予告編でした。)


 ●この文書は、当会会員である、宮本年起氏の創作です。

[前のページへ] [次のページへ] [メニューへ戻る]
[トップへ戻る]


社団法人 和歌山県鍼灸マッサージ師会
 〒640-8341  和歌山市黒田97−14
 電話  073-475-7771  FAX   073-474-2241

 メールはこちらまで  info@washinshi.com