平成15年の秋のこと。予約の患者さんの来院を待つ間、ラジオのスイッチを入れた。NHKの定時のニュースを聞こうとしたのだ。その途端に患者さんは到着した。いつも約束通りの時間きっかりにお越しになる患者さんなのだ。そんなわけで、たまたまラジオからNHKの放送が流れる状態で治療を始めた。BGMを流しながら治療することはしばしばだが、ラジオを聴きながら治療することはそう多くない。
その時の患者さんは年明けに出産を控えた妊婦さんだった。おなかが少し目立ち始めていたと思う。昔から言われるように妊娠・出産は女性の大役、肩もこれば腰痛も起こす。横向きに寝て頂いた患者さんの肩と腕をゆるめ始めたとき、女性アナウンサーの声が聞こえてきた。
「今朝は産婦人科医の先生にスタジオにお越し頂いています。先生は近く催される今年の産婦人科学会で、ちょっと風変わりなテーマの研究発表をなさるとお聞きしています。先生、そのテーマとは?」
その問いかけに促されて聞こえてきたのは、四十歳代と思われる男性の産婦人科医の声だった。
「胎児記憶、つまりお母さんのおなかの中で居たときのことを、生まれた後でどのくらい覚えているものなのか、という研究なのです。ことばを話し始めたお子さんに、お母様立ち会いのもとで聞き取りを行う、という方法で調査しました。」
「それで、結果はどうだったのでしょうか?」
「およそ30パーセントの子どもが胎児記憶を保持している、という結論なのです。類似の調査はあまりなされておりませんので、この数字がはたして高いのか低いのか、何とも評価は難しいところです。それはともかくとして、実は調査結果よりも、この研究のための調査の過程で、ずいぶん興味深い発言が、無視できないほど多数、聞き取ることができたのです。」
「その『興味深い発言』とは、どのようなものだったのか、ぜひともおきかせ頂きたいと思います。」
治療の手が止まるほど興味をそそるやりとりだった。妊婦である患者さんも赤ちゃんに関わる話題だけに治療を受けながら思わず聞き耳を立てている様子だった。
興味深い発言の要旨はあらまし次の通りだという。
「お母さんのおなかの中にいたときのこと、おぼえてる?」
「お花畑であそんでいたの。」
「ふうん。お母さんのおなかの中にお花畑があったんだ。」
「ううん、ちがうよ。お花畑であそんでいたら『生まれる順番がきましたよ』ってよばれたの。広いところにあつまると、女の人がたくさんならんでいてね、『さあ、お母さんをえらびなさい』っていわれた。」
立ち会っていた母親が思わず、
「じゃ、じゃあ、あなたが私をお母さんとしてえらんでくれたの?」
とたずねると、こどもはいかにも当然といった風に、
「そうだよ。」
というのだそうだ。どうして私をえらんだのかという問いに対する答は一定でなく、いちばんやさしそうだったからとか、いちばんキレイだったからとか、さまざまであるらしい。ただ、わが子が自分を親として選んだということばを聞いた母親は後日、一様に次のような感想を述べたのだという。
「それまでは子どものことをどこか『自分の所有物』か、そうでなくとも『自分の一部』くらいに思っていましたが、あの日以来、一個の独立した人格としてわが子を意識せざるを得なくなり、子育てが一変してしまいました。」
一つ、男性にとってはまことに残念なことだが、お父さんを選んで生まれてきた、という子どもは皆無であったとのこと。ま、子どもに選ばれたお母さんが父親となる夫を先に選んでくれているのだから、よしとしよう…。
疳の強い子どもに小児の鍼を施すため毎月定期的に訪問している保育園で、本棚に並んであった分厚い育児書を広げて前書きを読んだところ、「わが子の独立した人格を心から認めることができたなら、子育ては90%成功したも同然である」という意味の記述があった。通常「子どもは親を選べない」と考えられているが、胎児記憶の研究の過程で聞き取られた子ども達の発言は、独立した人格と意志を備えた子どもが親を選んで生まれてきている可能性を示唆しているようにも思われる。
ちなみにこのラジオの放送を一緒に聴いた患者さんは翌年2月29日に無事女の子を出産した。「花(はな)」と名付けられ、すくすくと育っている。
〔血海(けっかい)〕足の親指から腹・胸を経て脇に至る足の太陰脾経第10穴。
取穴:太ももの内側で膝小僧の丸い骨(膝蓋骨)内上から2寸上がった処。
治効:妊娠・出産や生理に関わる「血の道の病」に効くツボ。温灸がお勧め。
《作者から一言》 「漢方つぼ物語」は、荒唐無稽な創作物語と、全くのドキュメントとが入り交じっております。今回の作品は1行1句たりとも嘘のない、現実にあったことそのまんまのお話。というわけで私からこれ以上付け加えることはありません。ただ、お話の中に「小児の針」が出て参りました。最近、和歌山のローカル新聞の第一面トップにカラーで小児鍼の記事が掲載されました。これを機に関西にルーツを持つこの医療技術が再認識されて、子どもを取り巻く困難な状況を打開するための手助けとなりますこと心からを願っております。 (宮本)
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