漢方つぼ物語  (91)
球(きゅう) 後(ご)

 平成19年2月17日土曜日の夜、和歌山県立医科大学に程近い、ライブのできる店“デサフィナード”に、約50名の人々が寄り集った。廣瀬茂之監督による自主制作映画「君に捧げるサンバ」のスタッフ並びに出演者の顔合わせである。監督にとって3作目のこの作品は、バリ島を舞台に主人公のカップルの恋愛に元日本人兵が絡むストーリー展開。軽飛行機を操縦して空を飛んだりスキューバダイビングで海に潜ったりとダイナミックなシーンが盛り込まれる予定だ。和歌山県白浜町のミュージシャン・古家学氏が主役に名乗りを上げ、相手役は既にオーディションで選ばれている。そして前回作品で138歳の仙人という超老け役を演じた私は、50歳以上も若返って、82歳の元日本人兵・中村誠役を演じることとなった。自己紹介のラストに、私の順番が回ってきた。私は自分に振り当てられた役になりきって、言葉を紡(つむ)ぎ出した…。

***

 「スラマッ・マラム。インドネシアの言葉で『こんばんは』と申し上げました。バリ島在住の中村誠です。詩を一編、朗読致します。『雪』という題です。
… 雪は突然ふってくるのです / 冷たく乾いた冬の大地に / ある日突然
舞い降りてくるのです / かつて地面をさまよって / 汚れきって /
天にのぼった水の粒たちが / はるか空のかなたで結晶して / 舞い降りてくるのです
// 涙は突然あふれてくるのです / 希望と絶望を繰り返した人のひとみに /
ある日突然 あふれ出てくるのです / かつて人生をさまよって / 疲れ切って /
天に召された人々の思いが / はるか時のかなたで結晶して /
あふれ出てくるのです …
 テルマカシー、ありがとうございました。さて、私の住むバリ島に雪は降りませんが、涙は時にあふれ出てくることがあります。19の歳に出征して以来、もはや帰ることはないであろう祖国に想いを馳せるとき、またその出征を見送ってくれた縁故の人々、とりわけ将来を誓い合った恋人・菊江に関わる記憶をたぐり寄せるとき、こみ上げる涙をどうすることもできないのです。菊江は、花作りをこよなく愛しておりました。しかし、私が出征した昭和19年頃には食糧事情は極度に悪化し、腹の足しにもならない花などを育てることはもはや許されない状況になっておりました。花畑は芋畑と化しておりました。そんなとき菊江が私につぶやいた言葉を、私は今も忘れることができません。」

***

 「花は、口で食べることはできやんけど、口で食べるもんだけが食べもんとちゃう。心で…心で食べるもんがないよになったら、心は生きていけやん。心の生きていけやん人間なんか、もう人間とちゃう!」

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 「菊江のつぶやきが今もなお、私の胸を締め付けます。(ここで一変して!)…という中村誠の役を演じさせて頂く宮本敏企です。私は映画作りについて、それは“祈り”であると考えています。この映画が完成したとき、これを鑑賞して頂く時間が素晴らしい時間でありますように! この映画から感じ取って頂くことが未来への希望となりますように! そして見終わったあと、周りの人に見る前よりも優しい気持ちになれますように! そのような祈りを込めた映画作りに、皆様と共に関わって参りたいと念願しております。どうか宜しくお願い申し上げます。」

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 私の“トーク・ショー”の間中、引き気味であったその場の人々は、
「既にトランス状態に入っておるようです。」
という司会者の絶妙のフォローで爆笑した。
 後日、廣瀬監督から、「菊江のつぶやき」を、中村誠から菊江に宛てた手紙の一節として、台本にぜひとも取り入れたい、との申し出があった。そこで私はこのセリフは作家・田宮虎彦がその小説「花」の中で花作りに命をかけた農婦に言わせた台詞であることを告げざるを得なくなった。監督は著作権者の承諾を得た上で、引用を明示してでも使いたい、と言ったものだ。
 実は「祈り」の部分も出典がある。天才的脚本家と絶賛されながら不可解な死を遂げた野沢尚の舞台劇「ふたたびの恋」の中で、シナリオライターに言わせた「自分が心から求めてないことを、さも大切なことのように言うな。祈りだ。それがないとドラマは忘れられてく。…」のあとに続くセリフなのだ。

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 3月半ばの台本読み合わせのあと、4月から国内での撮影が始まる。そして映画の中核をなすバリ島での撮影は5月下旬から6月初めにかけて敢行される。顎にヒゲを蓄え、左脚に義足をはめて、一部インドネシア語のセリフを操りながら、一世代上の役を異国の地で演じる。戦争を体験した世代への深い畏敬を込めて、そして今なお戦火の絶えぬ世界情勢を憂いながら、貴重な人生体験として、今回の映画作りに力を注ぎたい。

〔球後(きゅうご)〕正規のツボでないが治療して効果のある「奇穴」の一つ。
 取穴:眼窩下縁(目の下側の骨)の外寄り4分の1と眼球との境目に取る。
治効:近視、視神経炎など目の病一切に。またあふれてやまぬ涙を止める。

《作者から一言》
 5月30日昼前に関西国際空港を発って6月4日朝の帰国まで、バリ島で撮影に専念します。私「中村誠」の想いは「菊江」に届くでしょうか? 秋に予定されている上映会をご期待下さい。
ところで去る3月8日は私の勤める和歌山県立和歌山盲学校高等部の卒業式でした。なんと、今年は暖冬のせいで理療棟西側の桜の木が満開。国語を専門とされる篠崎校長先生が祝辞の締めくくりに一句詠まれました。
「別るるや今日満開の桜かな」
(宮本)


上は球後の図と、盲学校に咲いたさくら

 ●この文書は、当会会員である、宮本年起氏の創作です。

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