漢方つぼ物語  (93)
華《か》 蓋《がい》

「観音様!」とその名を口にするだけで安らぎを覚える。「施無畏者(せむいしゃ)」とは観音の本質を捉えた言葉だ。畏(おそ)れおびえることが一切無いという状態を施してくれる存在、「私がそばにいるから、恐いことは何もないよ。安心しなさい。」と、耳元で優しくささやいてくれる存在を常に心に抱くことは、日本人の歴史的普遍的な信仰であるとさえ思われる。
観音様について忘れがたい仏教説話がある。心に深くしみいる言葉を特有の印象的な字体で書く相田みつをさんは在家の仏教者であったが、その相田さんの生前の講演の中で紹介されている説話で、おおむね次のような内容だ。
早離(そうり)・即離(そくり)という名前の兄弟がいた。この兄弟は不幸にして両親を早くに亡くした。嘆き悲しんでいる二人に、「親がいなくて寂しいだろう。親のいるところへ連れて行ってやろう。」と言葉たくみに近づいてくる男があった。男は兄弟を無人島へ連れて行き、置き去りにした。島には食べ物が何もなかった。弟の即離は涙ながらに兄に訴えた。
「兄貴、俺たちほど不幸な身の上の者はないな。親に早く死に別れ、こんな寂しいことはない。その上、悪い男にだまされて、こんな悔しいことはない。そして食べ物のない無人島で、こんなひもじいことはない。」
その時、兄の早離は弟に対してこう言ったというのだ。
「おまえの言うとおりだ。俺たちほど不幸な身の上の者はない。しかし弟よ、俺たちは親に早く死に別れる寂しさを、人にだまされる悔しさを、食べ物のないひもじさを、経験したじゃないか。こうしたことを経験したのだから、もし生まれ変わるということがあるなら、次の世では人の苦しみを少しでも和らげることのできる存在として生まれて来ようではないか!」
弟は深くうなずき、兄弟は飢えたまま抱き合って死んでいった。やがて二人は生まれ変わって、観音菩薩・勢至菩薩として、今なお人を救い続けている…。

***

観音様をご本尊とする名刹を巡拝する西国三十三カ所巡りはその昔、熊野詣の帰途、「せっかく都を遠く離れた熊野に参詣して、手ぶらで帰るのはもったいない。どうです、観音様がお祀りされているお寺を順に拝みながら帰る、ってのは?」ということで盛んになったと聞く。一番が那智の青岸渡寺というのは、それで納得できる。
西国二番の札所は、近畿に春を告げる花の名所・紀三井寺。その紀三井寺の奥座敷で、夜桜を眼下に見下ろしながら気心の知れた人たちが爛漫(らんまん)の春を謳歌する機会を持った。身に余る光栄とはこのことであろう。
先ずは本堂で般若心経を読経し、副住職様からこの寺についてのお話を賜る。紀三井寺は奈良時代の紀元770年、唐僧・為光(いこう)上人によって開かれたのだという。興味深いのは、三番札所の粉河寺もまた同じ年に開かれていることだ。副住職はこれについて、ある学説を紹介された。770年という年は「日本のラスプーチン」として知られる怪僧・弓削道鏡(ゆげのどうきょう)が没した年だという。孝謙女帝に取り入り一時、政治の実権を握り仏教界までをもほしいままにした道鏡がようやく死に絶え、正しい仏法を世に広めんと、心ある人々が結集して築かれたお寺が紀三井寺であり、また粉河寺であったということなのだ。

***

盛りだくさんな花見弁当に舌鼓を打つうちにアトラクションの時間となった。私の出番だ。鈴を手に登場する。
「この鈴は『観音の慈悲の鈴』と申しまして、観音様の如き慈悲の心を備えた者のみが鳴らすことができるという、霊妙不可思議なる鈴でございます。」
そういいながら鈴を振って鳴らすとかぶりつきの男性が、
「ウソや! そんなもの誰が振っても鳴る!」
「はい、ウソだと思ったあなた、どうぞ思う存分鳴らしてもらいましょう。」
鈴は誰が振っても鳴らない。鳴らないように仕掛けがしてあるのだ。
「市長さんに鳴らしてもらえ!」
ゲストの大橋市長さんがその気になって前に出てきている。市長さんが鈴を振るのに合わせて、その背中の後ろで袖の中に隠した鈴を鳴らすと拍手喝采!

***

花の名所・紀三井寺にイメージがピッタリのツボは「華蓋(かがい)」。のどの下、胸骨という胸の正面中央の骨の上の方にある。気管が左右に枝分かれする位置。このツボを、指の腹で押しながらなでると、この季節特有ののどの違和感がスッキリしてくる。華蓋の「華」は桜ならぬ蓮の花。「五臓の最も上にある蓮の花の形にみえる肺」を意味する。
気がつけば今年も、桜の季節は過ぎ去ろうとしている。
みあぐれば 桜しもうて 紀三井寺 (松尾芭蕉)

〔華蓋(かがい)〕胴体の最下部より腹部・胸部の中心線を上る任脈の第20穴。
取穴:胸骨の中心部(胸骨体)とその上方の部分(胸骨柄)の境目の上に。
治効:咳・喘息や咽喉の痛み。気管支炎、咽喉炎、肋間神経痛などに応用。

《作者から一言》 紀三井寺の副住職であられる前田泰道さんが3年前に小学校のPTA会長をつとめられたときの人脈で四月の第1土曜日に催されるようになった花見会も今年で3回目。毎年、大橋健一和歌山市長も特別参加され、楽しい宴は夜更けまで尽きることがない。(宮本)


上は華蓋の図

 ●この文書は、当会会員である、宮本年起氏の創作です。

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