漢方つぼ物語  (94)
筋(きん) 縮(しゅく)

   「口演番号110番、脊柱筋と未病。」
 いよいよ出番だ! 平成19年5月24日午前11時30分、ここは大阪市天王寺区上本町8丁目の大阪国際交流センター。第46回 日本公衆衛生学会 近畿地方会の会場である。
公衆衛生に関わる118タイトルの研究発表が9つの分科会に別れて発表される。私に振り当てられた通し番号110番は、第1分科会の第10番目の発表であることを表している。
会場正面には大きなスクリーンが設置されていて、多くの発表はここに要点が映し出される。かつては青の地色に白抜き文字の「ブルー・スライド」を写真屋さんで焼いてもらい、それを一枚ずつ映し出していくのが慣わしであった。パソコンの時代になって事態は一変した。「パワーポイント」という名のソフトが研究発表から製品説明、業務報告、企画提案に到るまで、ありとあらゆる発表の場面で、ほぼ百%のシェアを持つまでに台頭してきた。
実のところ、今回の「研究者デビュー」は、パソコン教室でこの「パワーポイント講座」を受講したことが直接の動機だ。習った限りはその成果を発表したくなるのが人情というもの。とにもかくにも私は、近畿二府四県の大学の先生方や市町村の保健行政担当者達に混じって、東洋医学に基づく臨床研究という異色の発表をする機会に遭遇した…。

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 まずスクリーンに映し出されたのは発表タイトルと私の名前。これだけでは殺風景に思われたので、いつも私の治療所の待合室に掲げている私の似顔絵を添えた。娘の同級生のお父さんが描いてくれたものだ。そっくり、と評判の似顔絵だが自分ではここまで髪の毛が薄くないだろうと思っている。患者さんが「よく似ている」と言うから、「もう10年もすればこんな感じになるだろう」と返すと、「いや今の先生に生き写し」とまで言われて閉口した。
 次いで発表の目的。「背骨両側の筋肉の過緊張は時に生命をも脅かす」ことを述べる。潜在する病を漢方では古くから「未病」と称しており、未病を癒やす者が最高の治療者であると記している。では背スジがこった状態だとどのような不都合を生じるのか? 
 私は最も端的な臨床例として車の追突事故による「鞭(むち)打ち症」を挙げて説明した。追突されたときに背骨はムチのようにしなって頸椎にダメージを与える。このときその症状の強さは追突の衝撃の強さに比例すると考えられるが実はもう一つ、関連要素がある。それは後頭部から頚・肩にかけての弾力だ。頚・肩がこりつめた状態で追突されると衝撃をもろに受ける。これに対して、弾力のいい人は相当強い衝撃を受けてもその弾力がクッションの働きをして最小限のダメージで済む。このような一瞬の衝撃の場合だけでなく、背スジの弾力が乏しいと精密機械とも言うべき内臓諸器官に常に不快な振動が伝わり、ついにはそれがストレスとなってさまざまな疾患を引き起こす可能性がある。
 以前にNHKが突然死について極めて興味深いアンケート結果を発表した。突然死で亡くなった人の遺族への聴き取り調査によると、亡くなる前に訴えていた症状のダントツは「背スジの張り」であったというのだ。

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 私の発表はさらに脊柱両側の筋緊張不均衡の実例と、それがどのような比率で起こるか、はたまたどのような手技を施すことによりそれが解消できるか、にまで及んだ。聴衆の反応は上々で医師である座長が質問を促すと、ひとりの女子大生が手を挙げた。
「さきほど『く』の字になって寝ていた患者さんが、まっすぐになった写真がありましたが、あれは何回くらいの治療でそうなったのですか?」
 私は即座に答えた。
「1回の治療です。というより指先でほんの数秒、背骨の際の筋張ったこりを弾(はじ)くだけで、左右のアンバランスが揃ってしまうことが多いのです。」
 どよめきが起こった。座長自身が質問した。
「いわゆる肩こりと背スジの緊張とは、どのような関係があるのでしょう?」
 ここぞとばかりに私は胸を張って自説を展開した。
「こりは頚・肩に端を発して下に広がり、背スジをこらし腰に到るというのが臨床経験から来る私の確信です。外傷によるものを除いて、腰に症状があって肩や背スジにこりのない患者さんを、私は未だかつて見たことがありません。」

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 もし背スジのこりを緩めるツボは、と問われたら背中のほぼ真ん中、筋縮のツボを挙げただろう。筋や腱の弾力をつかさどる肝の臓と関わりの深いこのツボの高さまでこりが下りてくると、ほんのちょっとしたきっかけで腰痛を起こし易くなる。未病は経験的知識を以てすれば、もはや見えざる病ではないのだ。
 かくして私の研究者デビューは、格好の舞台を得て大成功のうちに進行したのだった。

《作者から一言》 エンターテナーを自認する私としては、学術発表といえどもどこかで笑いをとりたいと思った。そこで私は一通りの発表スライドの最後に、「ご静聴有難うございました」の一枚を加え、そこに「ワードアート」から探したイラストを入れた。真っ赤な緞帳の前でタキシード姿の男が深々とおじぎする図柄。絵と同じ格好でおじぎすると爆笑が起こったのだった!(宮本)

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上は筋縮の図

 ●この文書は、当会会員である、宮本年起氏の創作です。

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