漢方つぼ物語  (95)
脳(のう) 空(くう)

 人権をテーマにお話をする機会を与えられることが多くなったきっかけは、「和歌山市人権フェスティバル」という和歌山市と市の教育委員会主催の催しで「人権のマジック、同和の腹話術」という画期的な(!)タイトルで公演させて頂いたことであろうか。今回もつい軽い気持ちでお引き受けしたのだが、いつもとはいささか勝手が違っていた。
 まずは聴衆がすべて現職の先生方であること。中学校2校、小学校4校、それに公立幼稚園の教職員で構成する人権研究会の年次総会での講演なのだ。
 もう一つ違ったのは演題と内容をあらかじめ指定されたこと。そのタイトルとは「壁か、扉か」。これは東京都交響楽団が結成40周年記念に米国から招聘した世界的指揮者、ジェームズ・デプリーストさんに由来する。
デプリーストさんは若い頃、小児麻痺を患い、その後遺症で現在、電動車椅子を使っている。つまり「車椅子に乗ってタクトを振るコンダクター」なのだ。氏は言う。
「人生に障害はつきものだ。障害を壁と思うか、扉と思うか。それは本人次第。」そしてこの言葉は連鎖的に二人の視覚障害者を勇気づけた。
一人は点字の新聞でこの言葉を知った藤野高明さん。不発弾の暴発で両眼の視力と両手を失ったが必死の努力によって唇で点字を読めるようになり社会科教師として30年間、母校の盲学校の教壇に立ち続けた人だ。
藤野さんを更なる苛酷な試練が襲ったのは昨年3月。最愛の伴侶であり最高の補助者である奥様を病気で亡くされたのだ。不屈の闘志で幾多の試練を乗り越えてきた藤野さんもさすがに落ち込んでいたとき、「壁か、扉か」の言葉に支えられた。そして藤野さんからこの言葉を伝え聞いて強く感銘を受けたことを全国盲学校弁論大会で発表し、準優勝の栄冠を勝ち取ったのが藤野さんの盲学校の後輩、西亀 真さん。
人生半ばで著しい視力低下に陥り盲学校に入学。中途失明では困難な点字習得に挫折しそうになったとき、唇で点字を読む大先輩・藤野さんのことを知り奮起して、点字をマスター。後に藤野さんと対面してデプリーストさんの言葉を教わり、さらなる挑戦を決意する、という内容の弁論が大きな感動を呼んだ。
 藤野さんのことを中核に講演の内容を組み立て、心を揺さぶる言葉が人から人へと感動をともなって広がっていくすばらしさを訴えた。すると約束の時間に約15分を残して、話が一区切り着いてしまった。そこで私の講演は、最初には予定していなかった内容に及んだのだった…。

***

「私は週に5時間、非常勤講師として県立和歌山盲学校に勤めております。教育に携わる者としてここ最近、感じておりますことを申し述べたく存じます。
私の趣味は腹話術です。かつてこの世界に、いっこく堂という才人が出現しました。彼は師匠を持たず独学で腹話術を学び、それまでは不可能とされていた「まみむめも・ばびぶべぼ・ぱぴぷぺぽ」を完璧なリップコントロールで、すなわち唇を寸分も動かさずに、発音するという離れ技を器用にこなして話題を呼んだのです。
このことは私にとって大きな衝撃でした。私どもは腹話術の習い始めに『マ行・バ行・パ行は唇を動かさずには言えないから他の音で置き換える』と習います。しかし、いっこく堂は誰からも教わることなく不可能に挑戦し、ついにそれを可能にしたのです。
私ども教師は当然の決まりごととして物事を教える中で、もしかして教え子の可能性を閉ざしてはいないかを、絶えず戒めなければならないと感じました。…」

 ***

 「もう一つ、最近お坊様からおききしたお話。大学時代に仏教学を教わった恩師が文学部長になられた。ところがその直後、脳梗塞で倒れて身体も言葉もご不自由になった。数ヶ月後、リハビリの成果で指先が動かせるようになった恩師からお見舞いへの礼状が届いた。葉書一枚の短い文章の中で14カ所も字の間違いを書き直しておられた。経文の一字一句もおろそかにしなかった先生が、と胸が痛んだ。
さらにその文面に胸が締め付けられる思いがした。『私は度々君たちに世の無常を説いてきたが、嘘ばかりを言ってきたような気がする。嘘と言って悪ければ、観念ばかりを説いてきた。なぜなら私は今般の病を得て、生まれて初めて無常の意味を体得したような気がするからだ。』…」

 ***

 「教えるということは、高いところから知識を授けることではなくて、教師自身が誠実に生き、我が身の内に凝縮した確かなものを、しっかりと教え子に託する、そのような真摯な営みではないか。このお話を聴いてそう感じました。」
 緊張の内にお話を終え講師席に戻ると、主催者からお礼の挨拶があるようだ。
「宮本先生とは高校時代の同窓です。学生時代から面倒見のよい人だったが、その人柄をさらに磨かれ、感銘深いお話をして頂いたことに感謝致します…。」
 私は感激のあまり思わずこのクラスメートに駆け寄り握手をした。聴衆からいっそう大きな拍手が起こった。

〔脳空(のうくう)〕目尻から側頭、胴体・足の外側を下りる胆経の第19穴。
 取穴:外後頭隆起(後頭部の盛り上がり)上際の窪みで正中の外方約2寸。
治効:頭痛や後頭部のこわばりのほか、脳血管障害の後遺症に用いられる。

《作者から一言》 今年平成19年度は役職の当たり年。5月に娘が通う高校のPTA会長に推挙され、6月には所属する社団法人全日本鍼灸マッサージ師会の無資格無免許対策委員を拝命した。張り切って責務を果たしたい。(宮本)


上は脳空の図

 ●この文書は、当会会員である、宮本年起氏の創作です。

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