漢方つぼ物語  (99)
崑(こん) 崙(ろん)

 一葉の写真がある。緑の山、青い海をバックに二人のランナーが心地良さそうに走っている。やや前方を駆けているランナーは潮風の感触を楽しむように心もち顔を上げている。そのランナーをさりげなく見やりながら、もう一人のランナーもまた浜風の中を快走している。ただ並んで走っているかに見えるこの写真をより注意深く眺めると、二人の手が紐のようなもので結ばれていて、後ろ側のランナーの胸には「伴走」の文字…。そう、二人は全盲のランナーとその伴走者なのだ!

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 一枚の新聞の切り抜きがある。平成19年10月29日付け毎日新聞朝刊の和歌山版から。
 ジャズの生演奏が響く中を走る「和歌浦ベイマラソンwithジャズ」が28日、和歌山市の和歌山マリーナシティから片男波海水浴場にかけてのコースで行われた。…ハーフマラソンに初参加したのは全盲の走者、県立和歌山盲学校教諭、野尻誠さん(33)=同市。知人の紹介で持ちタイムも合った伴走者の会社員、堂下登さん(54)=同市=とともに和歌浦を駆けた。野尻さんは「気持ち良く走れた。片男波の地を踏んだのは初めてでとても楽しめた」。堂下さんは伴走初挑戦で「これまでもやってみたいと思っていた。2時間弱というタイム設定通りで、気持ち良く走れた」と話した。             【最上聡】

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 一通の手紙がある。堂下登さんから頂いた手紙だ。
 …野尻さんとの練習ですが、場所は野尻さんがいつも練習している競技場の周辺。海南方面へトンネルを抜けて、住金海南製造所の横からマリーナの二つのブリッジを越えてシーサイドロードへ、三叉路ロータリーから競技場へ帰る約7qコースを2回と、三叉路を直進し国道まで出て、明和中学の前から紀三井寺の縁道を抜けて競技場までの10qコースを1回の計3回でした。一人の練習でも伴走を想定して、「右へ90度曲がります。」といった感じで声を出していました。ジャズマラソン当日は、野尻さんに勇気と感性の豊かさを教えて頂きました。努力することの素晴らしさに感動しました。
 私は家族、友人はじめ多くの人たちと良い影響を与え合いたいと常に願っています。最近思っていることは「今できることを精いっぱい活かしたい」ということであります。私の行動がいずれ家族や友人たちに良い影響として繋がれば幸いでございます。この機会を頂いたことにあらためて感謝申し上げます…。

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 私は盲学校の非常勤講師。視覚にハンディキャップのある理療科の学生達に鍼灸マッサージの職業教育を施すことを生き甲斐としている。と同時に、重い視覚障害をものともせず、仕事は勿論のこと、さまざまな技芸に打ち込む同僚の先生方との交流をとても貴重に感じている。和歌山盲学校には、全盲の身でフルマラソンを走りきる先生が二人いる。そのうちのお一人である野尻誠さんから、伴走して頂ける方をご紹介頂けませんか、とご依頼を受けたとき、反射的に脳裏に浮かんだのが私の治療院の患者さんである堂下さんだった。海外のマラソン大会にまで参加するバイタリティと、わが事のように他人を思いやる人柄の良さを見込んでのことだった。あとはタイムが折り合うかどうか?
 尋ねるとハーフマラソンの平均タイムは、野尻さんが1時間50分台、堂下さんが1時間40分台。うってつけだ!

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 堂下さんは慎重だった。まずは実際に伴走する様子を入念に見学した。得心してから二人で3度練習した。
 本番の日、二人は3つのことを申し合わせたという。ケガのないことを第一にしましょう。二人共々に気持ち良く走りましょう。できることならば2時間を切るタイムを目指しましょう。
 安全のため、給水は歩いてコースの外に出て行い、また歩いてコースに戻った。二人とも走りを満喫した。そしてタイムは…1時間56分!
 3つの申し合わせは万全にクリアした。

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 前日、私は、このマラソンの前夜祭で市長さんとご一緒していた。市長さんが「明日は私も2qコースを走るよ」とおっしゃるのを聞いて、思わず野尻さんと堂下さんの一件を告げた。すると、この催しの主催者である市長さんは、いたく感動され、その場で市長さんの古巣である毎日新聞社へ電話をされたのだ。当日、毎日新聞の最上記者から私に「お二人を直接、取材させて頂きたい」と申し出があり、二人が「伴走ボランティアへの一般の方の理解が深まるなら」とその取材を受けてくれ、先の記事となったという次第だ。
 当日、私はメイン会場の一角にある、救護のコーナーにいた。ハーフマラソンを走り終えたお二人は律儀にも揃って完走の報告に来てくれた。10日後、堂下さんが来療された。なんと翌週もハーフマラソンを完走したのだそうだ!

   〔崑崙(こんろん)〕63穴を擁する最大の経絡・膀胱経の第56番目のツボ。
 取穴:足の外くるぶしで最も高いところとアキレス腱との間のくぼみに取る。
治効:足腰の疲労を癒す。二度のマラソンで疲れた堂下さんに用いたツボ。

《作者から一言》 伴走者である堂下さんに、いち早くこの作品をプレゼントしたところ、「幼いときに逝った父が生前にかいた手紙、10年前に亡くなった母(註:このお母さんのリウマチの治療をさせて頂いたのが最初のご縁)が書き残した手紙と並んで、頂いたこの文章を、子らに伝える宝物としたい」旨の礼状を賜り、さらに感動が深まった。
ところで漢方つぼ物語も今回で第99話。「99」って数字、二人仲良く並んで走っている姿に見えませんか?(宮本)

  

上は盲人ランナーと伴走車の写真/崑崙の図

 ●この文書は、当会会員である、宮本年起氏の創作です。

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