鍼灸マッサージ師が勧める健康法

新養生訓

〜ケガをしない・病気にならない・疲れにくい体の作り方〜

一般社団法人和歌山県鍼灸マッサージ師会会長 宮本鍼灸指圧院院長        宮本 年起

2017620

 


 

 

目次

まえがき

第1章       ケガをしない体作り

人はなぜケガをするのか?

 転倒によるケガ・パターン

ケガしない方法論

 私の体験から

 転び方健康教室

 元アスリートの体験談

 ドッジボールの法則

第2章       病気にならない体作り

人はなぜ病むのか?

未病(冷え・脊柱起立筋のこり)

病気を免れる=免疫 “腸内フローラ”

睡眠の重要性

第3章       疲れにくい体作り

疲労感と客観的披露疲労〜過労死を防ぐためにも〜

疲れにくい体を養うための方法

第4章       笑いと祈り

発散する「笑い」と凝集する「祈り」

笑いは神・降臨の光かもしれない。(小野田寛郎)

笑いは精神を通して肉体を治療する。(カント)

祈り・冥想・カウンセリング

第5章 心の傷の癒やし方

体の傷の治し方は5歳の子供でも知っているのに、心の傷の癒やし方を知らない大人が多すぎる。(ニューヨークの心理学者・セラピスト ガイ・ウィンチ)

あとがき

まえがき

 

 小学校教諭をつとめる私の知人(高校時代の同級生の娘婿にあたる)が、つい最近、年度初めの家庭訪問の最中、最後の家に向かう途中に、自転車で「激しく転倒、鎖骨粉砕、肩甲骨と肋骨を骨折(ご本人の Facebook の記事より引用)」しました。左腕を吊るした姿が痛々しい限りです。また、私の親しい友人である名刹の住職は足首を骨折、車いす姿で葬儀の読経をこなしたとか。これまた痛々しい。先生であろうが、お坊様であろうが、ケガをするときはするものです。

 人は思わぬケガをします。ケガはたいてい時間を経れば元の健康な体に快復しますが、時には四肢等の欠損を招いたり、重い後遺症を残したりする場合もあります。病気もまた然りです。

 東洋医学では「未病」という観念があり、表に現れにくい兆しをとらえることが大切、と説かれます。積もり重なる疲労とその兆候は、この未病の一つに数えて良いと思われます。危険なのは「蓄積する疲労を自覚できていない状態」です。過労死や極度の過労による自殺は、そのような状態が前提になっていると思われます。

 ケガしない・病まない・疲れを知らない体。それは人類の見果てぬ夢かもしれません。しかしながら私は、敢えてその理想に近づきたいと願います。

この一文が、皆様の健康増進の一助となれば幸いです。

 

1章 ケガをしない体作り

〈なぜケガをするのか?〉

ケガ、と一口で申しましても多種多様。ヤンキースの松井選手が外野フライを滑り込んで捕ろうとしてグラブを芝生に引っかけ手首を骨折したのもケガなら、高齢者が布団の上でシーツに足を引っかけて大腿骨頸部骨折するのもケガです。

私は6年前から週に23回、高齢者向けのスポーツジムでストレッチ運動と筋肉トレーニングに励んでいます。スポーツ医学の知識とアスリートとしての実績のあるインストラクターが何人もいて、様々な相談に乗ってくれるところが気に入っています。本稿をしたためるに当たって、質問してみました。

「人はなぜケガをするのでしょう? ケガをしやすい人に共通する特徴は何?」

 その答えは「バランスが悪い」でした。人は「バランスを崩してケガをする」のです。では転倒してケガをする代表的なパターンを検討してみましょう。

 

転倒によるケガ・パターン その1 「段差につまずいて転倒・骨折」

 わずかの段差、端的に申すならシーツ一枚につま先を引っかけて転ぶ、ということが実際にあります。足が上がっていないのです。では質問します。この場合、上がっていない足とは、@足裏全体 Aつま先 B踵(かかと)のうちのいずれでしょうか。

 正解は、多くの場合、つま先です。足裏全体が上がらない状態なら、そもそも歩行不能。つま先が上がっているのに踵が上がらない、という状況も考えにくい。参考までに申しますと、踵を固定してつま先を上げる動作を「足関節の背屈(はいくつ)」と呼び、その逆、すなわちつま先を伸ばす足首の動きを「底屈(ていくつ)」と呼びます。中枢性麻痺(脳性麻痺や脳血管障害等脳中枢に端を発する麻痺)の患者さん方が一生懸命リハビリに励んでも,なかなか改善しにくい動作の一つが、このうちの「足関節の背屈(つま先を持ち上げる動作)」です。話を元に戻しましょう。わずかの段差でつまずく原因は「つま先が上がらない」こと。言い換えますと足関節の背屈が充分にできないためです。筋肉で申しますと、脛の前面(弁慶の泣き所)のやや外側に位置する「前脛骨筋(ぜんけいこつきん)」が弱っているのです。前脛骨筋こそは腓腹筋と共に歩行時に働く中心的な筋肉であり、しっかりと足を上げて歩くためには、この筋肉を鍛える必要があります。ここで私の専門領域であります漢方のツボのお話を致します。

 鉄道も車もない時代に、江戸を出発して東北・北陸を経て大垣に至る約600里(2,400km)の道のりを156日間かけて旅した俳人の松尾芭蕉は、その紀行文「奥の細道」に,毎日「足の三里」のツボに灸をすえながら旅した、と記しています。このことから、足三里は健脚のツボであることが分かります。

 実は足三里の位置は、歩行時の主たる筋肉・前脛骨筋の「モーターポイント」、すなわち収縮の中心なのです。足三里を刺激することにより前脛骨筋の収縮力がアップし、健脚になるのです。少し補足しますと、足三里のツボはこれ以外にもう2点、重要な効果があります。

足三里の健脚以外の効用その1、健胃のツボ。

足三里は胃経上の重要穴で消化器の機能を高め

ます。私ども鍼灸師が良く経験するのは足三里

に鍼(医療用の針はこの漢字を用います。読み

は同じ「はり」です)を刺しますと、患者さん

のおなかが「ぐるぐる〜」と鳴りだして「急に

おなかがすいてきました」と仰ることがよくあ

るのです。健胃のツボの面目躍如です。

 足三里の健脚以外の効用その2、冷えのぼせ。

足三里は、頭に偏った血を下半身に誘導します。   図1 足三里のツボ

パソコン中心のデスクワークにおわれて、運動不足がちの現代人にぴったりのツボと申すべきでしょう。

 結論として、つまずいて転ぶパターンのケガ予防には、一に運動(お勧めはウォーキング)、二に足三里。前脛骨筋を鍛えて、しっかりとつま先を上げて歩くことをお勧めします。

 

転倒によるケガ・パターン その2 「つんのめって顔面を強打」

 人は普通、前につんのめって転びそうになると、反射的に片足を前方に出して支えることで転倒を食い止めるはず。ところが、そのまんま前に倒れ込んで顔面を血だらけにする方がけっこういるのです。お気の毒としか言い様がないこの転倒ケガ・パターン、一人の介護職員の冷静な観察によってそのプロセスが解明されました。

 前につんのめる・反射的に一歩を出そうとする。ここまでは転倒予防反射が働いていたのです。問題はその後。一歩前に出した足のつま先がくるりと「反転」してしまい、からだを支えることができないまま、哀れ地面に接吻してしまったのです。(図2参照)

なぜそんなことになったか。その

理由はパターンその1と同じ。つま

先を上げる(=足関節を背屈する)

前脛骨筋の筋力が弱いためです。

したがって、パターン2のケガ予防策

もまた、一に運動(足首の屈伸と歩行)

二に足三里(お灸がお勧めです)、という  図2 爪先が反転・転倒のパターン

ことになります。

〈ケガしない方法論〉

 私は高校時代に体育の授業で柔道を習いました。そのとき、「受け身」という技術を教わりました。仰向けに転倒したとき、右の掌でパーンと床を叩き、顎をぐっと引くことで後頭部を浮かし、生命中枢のある延髄付近に衝撃が及ぶのを防ぐやり方です。かなり徹底して教えられたので、それから数十年を経過した今でも、転ぶと反射的に顎を引いています。これ一つだけでも、仰向けに転んだとき、後頭部の生命中枢を痛めずに済みます。

 ずいぶん以前に、転んで膝がしらを、(膝蓋骨が粉砕骨折したのでは?)と思うくらい強打したことがあります。骨折は免れましたが、ズボンは破れ、ひと月以上、膝の痛みが続きました。両手に書類を詰めた紙袋を持ち、駐車場の車止めにつまずいたのでした。壊れ物を持っていたわけではないので、紙袋など投げ出せば良かったのですが、そういった判断はとっさにはできないものです。先日、そのことを思い出す出来事がありました。スーパーの駐車場で、やはり車止めでつまずいたのです。(このまま転ぶと、またズボンを破り、膝小僧を痛める!)私はそのとき上等のズボンをはいていたのです。なんとかこのズボンは破りたくない。以前と状況は酷似していましたが、一つ違うことがひとつありました。ここ数年、私は『バランスボール転がし』という技を磨いていたのです。バランスボールの上に乗って、前後左右に転がすという、オリジナルのバランス運動です。日々の鍛錬により私は『転びの達人(!)』に成長していたのです。瞬時の判断で私は「ヤッ!」と掛け声をかけて『前転』したのです。マット運動の基本、前回りです。比較的きれいな駐車場でしたので衣服を汚すこともズボンを破ることもなく、かすり傷一つ負わずにすみました。ただ、守衛さんがたいそう驚いていました。いい年のオッサンが、掛け声もろとも前回りを始めたのですから。

「お、お客様、大丈夫ですか?」

 階段の上から下まで転げ落ちても、子供は案外ケガをしないと申します。本能的に“丸まって”落ちるからだそうです。丸まったり、くるりと前転したりすると、一カ所に衝撃が集中しないため大ケガをせずに済みます。

 

転び方健康教室(ころ健) 町の柔道家の実践的啓蒙

 私の住む和歌山市で柔道場を経営する腹巻 宏一(はらまき こういち)さんが「全身バランス系の筋トレ・脳トレ運動を、転び方と共に繰り返すことによって心と体をほぐし、より明るく積極的な毎日を過ご」せるようにと始められました。高齢者にもむりなく身につけることのできる理にかなった動きを繰り返し実践することにより、筋肉・関節の柔軟性を高め、同時に転倒予防にもなります。私も習い始めましたが、ちょっとした身のこなしをわきまえるだけで、腰掛けたり座ったりが流れるように滑らかにできることに驚いています。

 

元アスリートの体験談その1  アメリカンフットボールの元プロ選手のお話

 私は和歌山城の正面にあるホテルと契約しておりまして、宿泊客の希望により「往診」します。ホテル・マッサージは、気の利いた治療師はあまりやらない仕事なのですが、私はけっこう気に入っていて、気がつけば既に十年目となります。気持ちとしては“私のサテライト治療室”という位置づけです。時折、素晴らしいお客様との出会いがあります。

学者、作家、政治家、声楽家、古典芸能の担い手、芸能人、そしてお医者様もけっこうマッサージはお好きなようです。

 話が脇道にそれたようです。本題に戻します。ホテルでアメフトの元プロ選手に、施術しながらお話を伺う機会に恵まれました。

「高校時代は甲子園を目指して野球に打ち込んでいたのだが夢叶わず、大学では別のスポーツをしたいと考えて、色んな運動クラブを物色していた。すると、アメフトの派手な防具が目に飛び込んできた。とりあえず試着させてもらったのが運の尽き『君ほどアメフト姿の似合う人はない、明日から遊びがてら練習に来い!』と半ば強引に入部を勧められ、気がつくと(こりゃ大ケガして、それを口実にやめるしかない)という事態になった。ケガする覚悟で大胆にプレーしていると、『あいつ、新人のくせにずいぶんきびきびしているな』と1年生ながらレギュラーに。その後もとんとん拍子で、プロ選手になった。ちょうど元横綱の若乃花(若貴の兄の方)が相撲引退後アメフト選手になり注目を浴びていた頃。かれは素質的には申し分のない体だが、気が優しすぎて大成しなかったのだと思う。私は大きなケガもせずにその後、アメフトを引退した。」

 話の要点は『ケガする気でがむしゃらに体を動かしていると案外ケガしない』という点にあります。それはなぜでしょう? 次の体験談に進みます。

 

元アスリートの体験談その2  元アマチュアサッカー選手のお話

 もうお一人、元アスリートの「ケガしない」お話に耳を傾けてみます。

「私は大学までサッカーをしていて、社会人になってからもアマチュアリーグに参加していた。スポーツにケガはつきものというものの、できることならケガはしたくない。仲間のプレーを間近で眺めながら、どうすればケガせずに済むかについて考えを巡らせ、子細に観察した。

結論は『ぶつけられてケガをする。ぶつけてケガすることはほとんどない!』

お二方の元アスリートの体験的教訓からある共通の法則が導かれます。

 

元アスリートではない私が編み出した法則  ドッジボールの法則

 ドッジボールを教わるのは小学生時代でしょうか。決して運動神経の良くない私にとって、ドッジボールは比較的好きな種目でした。“ドッジ”は『ひらりと身をかわす』の意味だそうですが、私は牛若丸よろしく敵のボールに当たらないよう逃げ回るのが得意だったのです。それでも逃げ損ねてボールに当たってしまうことも当然あります。その痛いこと。それに対して、逃げることを断念して真正面でボールを受け止めた時の爽快感はどうでしょう。少々強めの球でも少しも痛いとは思いません。

『逃げ損ねて当たった球は痛いが、正面で受け止めた球は痛くない。』

 これを私は“ドッジボールの法則”と名付け、PTA活動等で役員を引き受けてもらうための勧誘トークに幾度も活用しました。曰く「たいへんな役職ですが覚悟を決めてお引き受け頂くと必ずや“やってよかった”と感じて頂けますよ。逃げ回って、結局引き受けることになったりしたら苦痛でしかないしょうが。」

《結論》

 様々な体験談を重ねてきて、賢明な読者の皆様はこれらに共通の要素に既に気づかれたかと存じます。ダメージは衝撃そのものの大きさよりもそれを受ける“角度”に多く依存する、という結論です。

 筋肉や骨の顕微鏡写真を見ますと、それらを構成する細胞に一定の“方向性”のあることに気づきます。そして筋トレや骨・関節の鍛練を重ねれば重ねるほど、細胞の並びが美しくなる傾向があります。それは何を意味するのでしょう?

 筋肉も骨も、鍛えた方向には強くなりますが、その方向以外には案外弱くなってしまう。鶏の卵は縦方向にはめっぽう丈夫ですが、横に力を加えると容易に割れてしまうように。

 新横綱 稀勢の里が日馬富士との一戦で土俵外に転落、左肩を負傷した状況を思い出して頂きたい。力士がどれだけ強くぶつかり合っても滅多に負傷はしないでしょう。でも転落したときは予想しない方向からの強い衝撃が加わります。また、鍛錬によりあまりに強い負荷をかけすぎると、過労による筋肉の弾力低下や疲労骨折の可能性もあります。どんなに稽古を積んでも、いや、稽古を積めば積むほど、予想外の方向からの衝撃には弱くなり、疲労による負傷もありうることを考えると、日常生活でケガをしないための運動の仕方は、自(おのずか)ら明らかとなります。 

あらゆる方向からの衝撃に耐える鍛え方は可能でしょうか。私は可能と考えます。それはバランス運動です。二本足で立ち、歩くことはそれだけで基本的なバランス運動ですが、片足立ち(進んだバージョンとして目を閉じて片足立ち、つま先立ち片足立ち、など)はお勧めです。体幹(腹筋・背筋)とインナーマッスルを鍛えること、ストレッチ運動もバランスの良い体作りに欠かせません。

 

 第2    病気にならない体作り

〈人はなぜ病むのか?〉

 病気について考える前に、もっとわかりやすく痛みについて考えます。痛みは不快な感覚です。こんなものなければ良いのに、と思います。

 戦時中、一人の高齢のご婦人が役所に文句を言いに来たそうです。

「空襲警報を鳴らすのをやめて下さい。あれが鳴ると必ず敵が攻めてくる。」

 空襲警報は敵の襲来を察知して事前に知らせるもの。これを止めたからといって空襲そのものを止めることはできません。これは笑い話です。ところが痛みについて、私たちは同じ思い違いをしがちです。度々起こる痛みを、痛み止めでごまかして、根本的な手当てを怠っていないでしょうか。痛みは“警告反応”であるとされます。このままではいけない、と警告を促していると受け止めなければなりません。もちろん、耐えがたい痛みはさしあたり何らかの方法で痛みを止める必要があります。しかしそれと同時に、痛みの因って来たる原因を突き止めて、生命をも脅かしかねない真の原因を取り除くことが必要です。

 病気もまた同様です。“病気は生活の赤信号”という標語は病への対処の仕方を的確に教えていると思います。交通信号が赤ですと止まらないわけには参りません。急ぐから、と言って信号を無視して突き進んだら、車にぶつかってしまいます。病気になったときこそ、一度、急ぐ足を止めて、生活全般を見直す好機でしょう。

〈未病(冷え・脊柱起立筋のこり)〉

 東洋医学では未だ病とは認識されない病の根っこ・原型を「未病(みびょう)」と呼びます。未病は決して病の前段階ではなく、「未病という名の病」がある、というのが私の持論です。その典型は「冷え」でしょう。申すまでもなく、人体は血液によって栄養を補給され、老廃物を回収してもらえます。その大切な血液の通路である血管は、冷えますと極度に収縮し、必要な量の血液を循環させることができなくなります。

 血管と同様、神経もまた全身にくまなく張り巡らされています。脳からつながる脊髄は背骨=脊柱の中にあって、そこから全身に脊髄神経が分布しています。例を挙げますと、腕の神経はすべて頸から、脚の神経はすべて腰から出ています(覚えやすいように、「頸の患い腕に出る、腰の患い脚に出る、恋の患い涙出る」と説明するのですが)。脊髄神経は体の各部位に分布し、すべての内臓にもまた分布しています。脊髄神経の出どころ付近にある筋肉=脊柱起立筋が硬直して弾力を失っていますと、全身を制御することに支障が起こります。そこで私は、「背スジのこわばりもまた代表的な未病である」と考えます。

余談ですが、私は四半世紀ほど前の平成36月上旬に一週間、気功の勉強を目的として北京に滞在しました。そのときに学んだ気功は禅密功という名の、まことに印象的な気功でした。両足を肩幅に開き膝を少し曲げ、腰を、まず前後に、次いで左右に振るのです。やがて円形に回し、八の字を描き、最終段階では自由自在に腰と背骨を動かすことにより、脊柱を構成する椎骨(頸椎・胸椎・腰椎)の一つ一つを思いのままに動かすことを目標とする功法(気功のやり方)です。この気功を極めた暁には、脊髄神経を思いのままに働かせることが可能なわけで、今にしてその価値を再認識します。26年前に習った内容を思い出して、実践しようと思います。

さて東洋医学の最も基本的な概念は気血です。これを現代医学に置き換えると気は神経の中を行き来する電気信号、血は血液を代表とする液性循環となるでしょう。冷えをなくして血の循環を促し、脊柱両側の脊柱起立筋のバランスと柔軟性を保つことで気の循環を確保すれば気血のよどみは起こらないはずです。

〈病気を免れる=免疫 “腸内フローラ”

 病気にならないことを「免疫」といいます。免疫物質は主に血液の中に存在します。先ほど血液は全身を巡ることで役割を果たすと申しましたが、血液の働きは栄養・酸素・温みを運び老廃物を回収する以外に、病の原因となる外敵を退治するという重要な働きを担っています。西洋医学は外敵の除去に重点を置きますが、東洋医学は外敵と戦う力を増強することを主眼とします。戦後の占領時代に、GHQは鍼灸を野蛮な前時代の遺物とみなし、これを抹殺しようとしたとき、京都大学の生理学者・石川日出鶴丸(いしかわ ひでつるまる)先生が、野兎に灸を施す実験で、施灸前と比べて施灸後、血液中の免疫成分が増強されていることを実証することで、東洋療法の命脈を保つことに貢献して頂いたのでした。

 免疫と関わる重要なものはほかに、昨今、盛んに取り上げられる腸内フローラがあります。私は和歌山生まれの和歌山育ちなのですが、お恥ずかしいことに、わが故郷・和歌山県は全国の都道府県中、牛肉の消費量第1位(全国平均の2倍)、納豆の消費量最下位(全国平均の半分)、さらには野菜の摂取量も運動量も少ないために便秘する人が多いという好ましからざる統計データがあります。和歌山には全国に先駆けて桜の開花する紀三井寺という観光名所があるのですが、桜だけでなく腸内フローラも美しく咲き誇る県にしたいものです。

〈睡眠の重要性〉

 病気にならない体作りのために、避けて通れない大切なもの、それは睡眠です。

 先日、NHKテレビが、センテナリアン=百歳長寿者を取り上げた健康番組を放送しておりました。百歳に達している日本人は昨年9月時点で65千人を超えているそうですが、その番組に登場した百歳長寿者たちが口をそろえて言うことには、「99歳までは色々と悩み苦しみもあったが百歳を迎えると、なんとも言葉で表現できない喜びに包まれる」と口をそろえます。それを聞いて私は、にわかに百歳まで生きたいと願うようになったのです。「百歳まで生きて同年代の友人も死に果て、下手すると配偶者や孫・子に先立たれる悲しみを味わいながら、何が良いのだ」と言われそうです。しかしながら私と私の妻には長生きしたい確固たる理由があります。私共にはダウン症のある娘がいます。この娘とできるだけ長く一緒にいてやりたいのです。ところが番組は厳しいコメントを続けます。「百歳の長寿を保つことは容易ではない。最低限の条件として、糖尿病に代表される消耗性疾患を克服することが必要」であると。

 さてここで睡眠の重要性に話が戻ります。全く健全な人の睡眠時間を3時間削るだけで血糖値が上昇した、という実験結果があります。睡眠不足はインシュリンの分泌低下をもたらすのです。糖尿病を改善し、センテナリアンを目指すためには、栄養・運動に加え、睡眠が重要であると言うことです。

 脳の機能に関わる認知症予防の研究成果として、認知症の主たる原因疾患であるアルツハイマー病を引き起こすアミロイドβについても興味深い研究成果が発表されています。脳の活動でできるタンパク質のカスであるアミロイドβは頭をよく使う人もさほど使わない人も同じようにたまるのだそうです。となると、「認知症を起こすかどうかはアミロイドβの排泄にゆだねられている」ということになります。その決め手は睡眠。深く寝入ったときほどアミロイドβは良く排泄されるのだそうです。

 長寿を保つためにも、認知症にならないためにも、睡眠は鍵を握っています。

 では睡眠を深めるためにはどうすれば良いでしょう。二つのポイントを指摘しておきます。

 一つは足を温めること。血液の分布が脳に偏った状態では眠りが深まりません。寝る前のスマートフォン・パソコン・読書は控えめに。

 もう一つはからだを締め付けないこと。パジャマの腰のゴムはきつくありませんか。

またまた余談ですが、45年前の映画「忍ぶ川」で加藤剛と栗原小巻が演じる主人公カップルの初夜のシーンがありました。加藤剛が素裸で布団に入る。

「雪国では寝るとき、何も身につけないんだ。そのほうが暖かいんだよ。」

栗原小巻が羞恥に頬を染めながら(モノクロ映画なので色は想像ですが)、

「私もそうしなきゃだめ?」

「君も今日から雪国の人になったのだから、そうしなきゃ。」

 そうです、一糸まとわぬ姿で夜具に入るのが、安眠を得る理想の条件です。

 なお理想的な睡眠は、一日に68時間(短いのも長すぎるのも良くない)、40分以内の昼寝をとることが望ましい(昼寝は長く取り過ぎると、夜の睡眠のリズムを乱すので要注意です)。

 

3章 疲れにくい体作り

〈疲労感と客観的疲労〜過労死を防ぐためにも〜〉

 疲労度を客観的に測ることは重要です。われわれ日本人は「やる気」「気力」を重んじるあまり、肉体の限界を超える負荷を課し、ついには過労死に至る悲劇を起こします。ここまで疲れをためては命に関わる、ということが客観的検査で知ることができれば、そのような悲劇を未然に防ぐことができるでしょう。

 その方法は既に研究され、まもなく実用化される見込みです。その決め手は、ヘルペスウイルス。ヘルペスウイルスは水疱瘡ウイルスと同一物で、水疱瘡を患った人は皆、脊髄内に持っています。普段はおとなしくしているのですが、疲労がたまり免疫力が極度に低下すると「暴れ出す」のです。ヘルペスウイルスにしてみれば、頼みとする宿主の生命力が低下すると「こんな親方に寄生していてはこっちも危なくなる」と判断して、あらたな宿主に移るべく体表面に出てきて、帯状疱疹を発症するというわけです。つまりヘルペスを発症するのは寄生しているヘルペスウイルスに見限られかけている、というわけです。皮膚表面に出てくると同時に、唾液の中にも出てきます。他の生命体に移り住むには「皮膚接触による感染」よりも「唾液を介しての飛沫感染」のほうが、より効率が良いからです。そこで疲労の客観的測定の指標として、唾液中のヘルペスウイルスの数を測定する方法が考案されました。近い将来、リトマス試験紙のような簡便な方法で疲労度を測ることができるようになりそうです。

〈疲れにくい体を養うための方法その1 「スタミナのある体作り」〉

 ウォーキングは最も手軽で有効な有酸素運動です。少し前までは一日一万歩歩こう、と勇ましいスローガンが提唱されましたが、様々な研究やデータの蓄積を経て、たくさん歩くことばかりが重要ではないことが明らかになってきました。普通に歩く中で、23分、スピードアップする「緩急を付けた歩き方」がより効果的であることが分かってきたのです。そしてこの方法は運動時のみならず、例えば家事をしているとき、12分、少しハイペースでやってみる、というふうに応用できるらしいのです。緩急自在の身体活動がなぜ良いのでしょう? 短時間、活動を高めるとき、細胞内のミトコンドリアが増加するのです。ミトコンドリアは酸素をエネルギーに変換する物質です。いっとき激しい動きをすると、ミトコンドリアは「わあ、こんなに激しく動かにゃならんのであれば、仲間をもっと増やさにゃ」と判断する、というわけです。その結果、より多くのエネルギーを生産できる体=スタミナのある体に変身できる、というわけです。

〈疲れにくい体を養うための方法その2 「踏ん張らなくてよい体作り」〉

 「一寸千貫(いっすんせんがん)」という言葉があります。断面がわずか一寸四方の角材が、千貫(3.75t)の重さを支えることができる、という意味です。但し、条件があります。「重みが垂直にかかること」です。

人間の背骨や脚の骨も垂直方向には相当、重さに耐える構造になっています。ところが背骨が左右に弯曲していたり、骨盤が左右アンバランスな高さになっていたりするとうまく支えきれなくなるのです。その結果脊柱は右に左に傾きます。目を閉じると姿勢が保てない・歩けばまっすぐ歩けない状態です。姿勢を保つため・まっすぐ歩くため、あちこちの筋肉を踏ん張らなくてはなりません。それは筋肉にとっては「余分な負担」です。バランスが良ければ骨(脊柱や大腿骨・脛骨等)だけで支えられたのに、骨に垂直に重みがかからないために、筋肉を持続的に緊張させて頑張り続けなければならないことからくる負担です。

ケガしないためのポイントであった「バランスの良さ」は同時に、疲れにくい体の条件でもあると言えます。

踏ん張らなくて良い姿勢をもう少し詳しく述べて、ご参考に供します。

(公益社団法人 大阪府鍼灸マッサージ師会 「いきいき健康体操」から引用)

1)立った姿勢

 @ 両足を14cm幅に開き、足の中指を正面に向け(やや内股になります)、足の親指に重力を集中させます。

 A 両手を広げて肘を伸ばし、てのひらを正面に向けます。

 B 肩先、手先が体の横一直線になるまでひろげます。

 C 胸を張り、骨盤をやや前屈してヒップアップさせます。

 D 頭が体の中心線上にあることを意識して正面を向き、あごを少し引いて、鼻から息を吸い込みます。

2)座った姿勢

 @ 足の幅は立った姿勢と同じく14cm開いて、両膝は閉じます。

 A てのひらは上に向けて、太ももの上に置きます。

 B 胸を張り、骨盤をやや前屈してヒップアップさせます。

   

4章 笑いと祈り

〈発散する「笑い」と凝集する「祈り」〉

 ケガしない・病気にならない・疲れにくい健康な体作りのベースを築くために、私が重要だと考える二つのことについて触れておきたいと思います。

それは一見対照的です。一つは「笑い」、もう一つは「祈り」です。

私のイメージでは、笑いは発散的です。はじける感じ。それに対して、祈りは凝縮的です。一点に凝集する感じ。それでいて、両者は人の健康に大いに関わるように思われ、また、近年、そのエビデンス(科学的証明)も発表されてきているようです。

 

〈笑いは神・降臨の光かもしれない(小野田寛郎)〉

 小野田寛郎さんは大正11年和歌山県海南市に生まれました。陸軍中野学校を卒業後、諜報要員としてフィリピンのルバング島に赴任したのが昭和1912月。以後、終戦を挟んで30年間、毎日、死と直面する生活を過ごし、ようやく昭和49年に帰国したのでした。

「ジャングルでの日々で、楽しかったことは何ですか?」

と尋ねられ、少し考えてから、

30年間、楽しかったことは一つもありません。」

と答えたことが鮮明に記憶に残っています。ですので、全く笑いとは無縁の生活を送ったのだと想像していました。ところが小野田さんのご親戚で、小野田さんの実家である宇賀部(おこべ)神社の現宮司・小野田典生(おのだ みちお)様から頂戴した小野田寛郎さんの著書「生きる」(PHP研究所刊)に、次のような記述があります。

 

 最大なる味方は「笑う」

 「笑う門には福来たる」という。

 私はこの「笑う」ことで助けられた。

 慰めも、励ましも、弱気になる時、なった時、支えになる。   

 しかし、それ以上私の味方になってくれたのは「笑う」ことだった。

 「笑う」これだけで萎えた心が鼓舞されるのだから。

 「笑う」それは、神・降臨の光なのかもしれない。

さらに本文中にこうある。

 「楽しいことなどあるはずもない游撃戦の日々。原則的に苦しいに決まっている任務を遂行しているのだから、私は日常、できるだけ陽気に暮らすことを心がけていた。失敗や苦しさを一つ一つ気にかけていては、自分で自分を落ち込ませてしまう。何事も笑い飛ばしてしまうくらいでなければだめである。」

 

 笑いについて私は二つの要素を挙げたいと思います。

 一つは、笑いは自律神経のうち副交感神経を優位にするという点です。腹の底から笑うとき、どこにも力を入れることができません。全身リラックス状態です。

 もう一つ、笑いは自己をズームアウトして、客観的に状況を把握するきっかけを作ります。自己中心的な視点からカッカしている自分を、より高いところから眺めると滑稽に思えてきます。欲求不満からくるストレスは自分を笑い飛ばすことで大概は解消するのではないでしょうか。

 さて、笑いについての別の金言をご紹介しましょう。「純粋理性批判」で知られる哲学者・カントが残した言葉。「笑いは精神を通して肉体を治療する。」

 精神を通して肉体を治す、という言葉から容易に連想できるのは信仰でしょう。信仰のエッセンスは「祈り」であろうと考えます。

 

〈祈り・瞑想・カウンセリング〉

 最近、テロメアについての研究が進んできているようです。テロメアは染色体の末端のキャップのようなもので、細胞分裂を繰り返すごとにはがれていくとされています。そこから比喩的に「いのちの回数券」と呼ばれています。そんな性質のものですから、テロメアはどんどん短くなるばかりで、伸びることはあり得ない、とこれまでは考えられていました。ところが理想的なライフスタイルを習慣づけることで10%程度、テロメアを伸ばすことが可能であることが実証されたのです。注目すべきはその推奨されるライフスタイルの内容です。

 @ 野菜中心のバランスのとれた食事の摂取

 A 一日30分程度の、ウォーキングを中心とする有酸素運動

と、ここまでは目新しいことはありません。この後のBとCが目新しいのです。

 B 瞑想

 C カウンセリング

 どうでしょう。瞑想とカウンセリング。私は直ちに「これぞ!」と思える本を購入しました。

 

 まずは瞑想について、現在、最も読まれている著作。

 「JOY(ジョイ)オンデマンド」チャディー・メン・タン著 NHK出版刊

 非常にわかりやすく瞑想の具体的な実践方法を書いていると評判のこの本のエッセンスを、引用いたします。

 

 ★フォーマルなエクササイズ 心を落ち着ける方法を探す

  五分という短い時間だけ座ろう。最初の三分間は、心を落ち着ける三つの方法を一分ずつ試してみる。残りの二分間は自由で、三つの方法の中で気に入ったものをしてもいいし、三つを組み合わせてもかまわない。

 

 準備

  あなたにとって、リラックスして、しかも隙がない状態になれる姿勢で座ってほしい。目は開けていても、閉じていてもいい。

 アンカリング(一分間)

  一分のあいだ、呼吸か体など、五感のどれかで感知できて、注意がそれたかどうか確認できる対象に優しい注意を向けよう。注意がそれたら、やさしく戻す。

 レスティング(一分間)

  一分間、心を休めよう。蝶が花の上にふわりととまるように、心を呼吸の上に置くことを想像してみてもいい。あるいは、自分にこう語りかける。「今この瞬間はどこにも行かなくていいし、何もしなくていい。ただ休むだけだ」

 ビーイング(一分間)

 次の一分間は、する(doing)から、ある(being)に注意を移す。何の課題も持たずに、ただ座っていよう。一分間、その一秒一秒を経験してほしい。

 フリースタイル(二分間)

  残りの二分は、三つの方法から気に入ったものをしてほしい。どれかひとつでもいいし、途中で別の方法に切りかえてもかまわない。

 

 次にカウンセリングについての著作。これは絶版になっていますが、中古本を探し当てました。

 「育ち合う人間関係」西光義敞(さいこう・ぎしょう)著 本願寺出版社刊

 この著作の中からは、クライアント(来談者)中心のカウンセリングをするための基本的な仮説、として列挙されている四つの項目を紹介します。

 

 1.人間は誰でも成長力をもっている。

 2.知的な面より感情的な面を重視する。

 3.問題の解決より個人の成長を目的とする。

 4.現在の場面を重視して過去は問わない。

 

 さて、瞑想やカウンセリングがこのような方向性を持ったものであるならば、それらはどうしてテロメアを伸ばす(=生命力を高める)のでしょうか。私は、先程、笑いについて述べたのと同じ理由付けが、ここでも当てはまると考えます。

 すなわちリラックスと自己客観視です。そしてその究極の姿は「祈り」ではないかと考えます。発散的な笑いと精神集中的な祈り、両者は対照的ではありますが、共に心と体を癒やす両極であるように思えるのです。

 精神が肉体を癒やす入口であるなら、ここで心の傷とその癒やし方について感動的なプレゼンテーションをご紹介したく存じます。

 

5章     心の傷の癒やし方

体の傷の治し方は5歳の子供でも知っているのに、心の傷の癒やし方を知らない大人が多すぎる。(ニューヨークの心理学者・セラピスト ガイ・ウィンチ)

 

プレゼンテーション番組“TED” で紹介されたスピーチ「心の傷の癒やし方」に感銘しました。ぜひここに引用したく存じます。

 

ガイ・ウィンチはまず、友人宅での出来事からスタートします。友人の5歳の子供が踏み台に乗って歯磨きをしていて転んで、擦り傷を負います。すると彼は救急箱から傷薬と絆創膏を出してきて薬を塗り、絆創膏を貼った、というのです。

小さな子供でも体の傷を覆うことを知っている。それなのに心の傷については、大人でも傷口をことさら広げて、塩を塗りたくるようなことをしがちだ。体の傷には誰もそんなことをしないのに! また、心に深い傷を負っている人に、「そんなの君の思い込みだよ」って言ったりもする。骨折してうめいている人にそんなことを言うだろうか? 「骨折? 思い込みだよ!」って。

ガイ・ウィンチは、典型的な心の傷を3つ挙げている。

まずは孤独感。多くの人と接していても、孤独感はありうる。決め手は「自分自身が疎外感を感じているかどうか」だ。孤独感が高じると、自分は周りからないがしろにされている、と被害妄想に陥ったり、拒絶されることを恐れて積極性を喪失したりする。研究によると慢性的な孤独感は、@早死にする可能性を14%増加し、A高血圧・高コレステロール・免疫力低下を招き、B喫煙と同じくらい身体に害を及ぼす。

次に失敗。ここに一つのこどものおもちゃがある。立方体をしていて、赤い押しボタンと青いレバーがついている。3人の幼児がいる。一人が赤いボタンを押すが何事も起こらない。何度押しても同じだ。うまくいかないストレスで、その子は唇をわなわな震わし始めた。それを横で見ていた子は、自分では何もしていないのに失望で泣き出した。3人目の子は、何度ボタンを押してもだめなので、次に青いレバーを横に引いた。すると箱から犬の人形が飛び出して「ワンワン」と鳴いたのでその子は大喜び。3人のこどもに能力的な差があったわけではない。失敗した後、さらにトライし続けるかどうかの差だ。何度失敗しても、自分にはできないと思い込むことなく、試行錯誤を繰り返す。一つ失敗して一歩成功に近づいた、って思うと失敗は失敗でなくなる。

三つ目は拒絶。恋人に振られたとき、「どうせ私なんか、不細工で、頭も悪いし、話も面白くないし。振られて当たり前よ」などと自虐的になったり、拒絶され心が傷ついたシーンを幾度も頭の中で再生したりするのは、心の傷に塩をすり込む最悪のやり方。そんなことをしていると、鬱病・アルコール依存症・摂食障害・心血管疾患などの病気・障害を起こすリスクが高まる。いやな想い出が頭によぎったとき、好きなこと〜音楽でもスポーツでも、ゲームでもいい〜に2分間集中する。ひとつことに夢中すればいやな過去の記憶は遠のき、心の傷は徐々に癒やされる。心が痛いときは自分自身が自分のかけがえのない親友になって自尊心を守るように努める。

心の傷を癒やすためには、マイナス思考と戦う。孤独なときにこそ敢えて行動を起こす。失敗したときのリアクションを変える。自尊心を守る。そしてタフな心を養う。

ほんの百年前、人々が衛生に気をつけるようになり、それからわずか数十年で寿命が50%延びた。みんなが心のケアを実践すれば、それと同様に劇的に生活の質を上げることができる。みんなの心が健康なら、孤独感もそんなになくて、失敗しても立ち直れて、自分に自信を持つことができるようになり、幸福で充実感を味わえる。

そんな社会を造っていこう!

 

あとがき

 

まえがきで、「自転車で転んで大ケガをした私の友人の娘婿」に触れました。その後、私の治療院に来院した友人を通じて、その事故の原因を知ることができました。「家庭訪問もあと一軒を残すのみ、と勢い込んでペダルを踏み込んだ瞬間、チェーンが外れて、前に大きくつんのめった」のだそうです。彼の大ケガについて耳にしたとき、私はこの文章を執筆中でした。彼にそう伝えると、「ああ、その論文を早く仕上げてくれていたらケガしなくて済んだのに!」といってくれましたが、さて、もし事前にこの「新養生訓」を読んでもらっていたら、事故は防ぎ得たでしょうか? 心許ない限りです。

人生には3つの坂がある、と申します。上り坂と下り坂そして「まさかのさか」であるというのです。ここで肝に銘じるべき重要なことは、「まさかのさか」は「たまさかのさか(=余程運が悪くない限り、滅多に出会うことがないさか)」ではなく、「日々歩く、その一歩一歩の歩みの内に存在する」という事実です。 

私は不慮の事故についてだけ申しているのではありません。病気しかり、人間関係の破綻、築きあげてきた信頼の喪失、経営の急激な行き詰まり、自然災害・テロとの遭遇、またしかりです。

この文章を仕上げている最中に、東名高速道路で62歳の医師運転の乗用車が、中央分離帯を飛び出して反対車線を走行中の観光バスの屋根に突っ込んだ、という信じがたい事故が報じられました。この事故での救いは、観光バスの47人の乗客乗員から一人も死者がでなかったという点です。それは偶然ではなくて、運転手がその時点で望みうる理想的な処理をしたことと、乗客のほとんど全員がシートベルトをしていたことによります。すなわち、突然の思いがけない不運も、なし得る最大限の準備を怠らず、その時々に的確な判断を下せば、ダメージを最小限にできる、ということの立証であろうと思われます。

このつたない文章をお読み頂いた皆様の幸運と健康を切に祈ります。